千本釈迦堂
(せんぼんしゃかどう)
御朱印
本堂(釈迦堂)山門から入って正面にあります
安貞元年(1227)に建立された本堂は、幾多の戦火を免れ、
800年近く経った今も当時のまま残る京都市内最古の木造建造物として国宝に指定されています。
このお寺、すごいエピソードがあるのご存知ですか❓
本堂の建立中に大柱にする材木が見つからなくて工事が中断していました🙅♂️
そのとき、摂津尼崎の富裕な材木商「成金」の主人の夢💤に金色白眉の老僧が現れ、
「洛中に一大精舎が建立されようとしている。お前の持つ巨木中に大光柱(大黒柱)とすべき木がある。是非とも提供して欲しい」
といって、その老僧は巨木の頭に「大報恩寺」という刻印を打って去りました。
翌日、成金の主人が材木を調べてみると、なんと「大報恩寺」の刻印が打たれた木材を発見✨
すぐにお寺を訪れると、夢に現れた老僧がおり、その老僧は釈迦十大弟子の一人・迦葉(かしょう)尊者であることを知りたいへん感動し、木材を寄進したそうです
千本釈迦堂(大報恩寺)は、応仁の乱の兵火等で堂宇を焼失しましたが、本堂(釈迦堂)だけは奇跡的に焼失を逃れています
「おかめ塚」
とても切ない可哀想なお話があるんですよ😭
本堂工事の棟梁だった高次。
妻は「おかめ」
ある時、寄進された貴重な柱四本のうちの一本を誤って寸法を短く切ってしまいました。
これは大変!!と、困っているときに妻のおかめが、
「いっそ全ての柱を短く切って斗栱(ますぐみ)を付けてみてはどうか」
と助言をしました。
高次はこの方法で、柱の上部に軒を支える木材を組み合わせ無事に完成‼️
安貞元年十二月に上棟式が行われました。
しかし、妻のおかめは妻の提言で夫が大任を果たしたという事実が世間に知られたら夫の名声に傷がつくとして、上棟式の前日に自ら命を絶ってしまいました。
自殺までするとは😢
高次は、妻の優しさに心をうたれ上棟式の当日、亡きおかめの名前に因んだ福面を扇御弊の先につけて飾り、妻の冥福と大堂の完成を祈ったと伝えられます。
この話は受け継がれ、江戸時代に三条の大工 池永勘兵衛が本堂の脇に「おかめ供養塔」本堂の前に立てられました
2月にお亀の福にあずかるおかめ節分が行われます。
また12月の大根焚きで賑わいます。
*山号【瑞応山(ずいおうざん)】
*院号【】
*寺号【 大報恩寺】
*正式名称【 瑞応山 大報恩寺(だいほうおんじ)】
*宗派【真言宗智山派】
*ご本尊【釈迦如来】
*札所等【新西国三十三所・京都十三仏霊場・近畿十楽観音霊場・数珠巡礼会】
*開基 【義空】
*創建年【 1227年(安貞元年)】
*住所【京都市上京区七本松通今出川上ル】
御朱印は納経、参拝の証としていただいています💕🙏⛩
参拝できましたことに感謝いたします
最後までご覧いただき
ありがとうございました🎵