東寺
平安時代以降も空海への信仰心から、歴代天皇や織田信長や豊臣秀吉や徳川家康など、伽藍が焼失しても復興に尽力しました。
金堂(こんどう)
東寺はあまりに有名なので、今回は視点を変えて平安京と東寺について少し記事にしてみましたよ✌️
平安京オーバーレイマップでもみてみました!
まずは
御朱印
真言宗十八本山(弘法大師)
金堂(薬師如来)
京都十三仏霊場第12番(大日如来)
御影堂(不動明王)
洛陽三十三観音第23番(十一面観音菩薩)
都七福神(毘沙門天)
鎮守八幡宮(八幡大菩薩)
西国愛染十七霊場第8番(愛染明王)
春の特別公開をしていました。
東寺は京都駅の近くでもあり、修学旅行でも行った方も多いと思います。
→なので、細かいことは省略させていただきます!
創建からおよそ1200年‼️
東寺真言宗の総本山の東寺でございます🙏
794(延暦13)年
第50代・桓武天皇の勅願により平安京の造営に際し
796(延暦15)年
国家鎮護のため羅城門の東に創建。
823年(弘仁14)年
嵯峨天皇は、東寺を弘法大師空海に託しました。
ーーーー
ここまでは調べても
行ってもすぐわかることですね😅
私がここで疑問に思ったのは
東寺があるから、西寺はないの❓ということ!
東寺は‥‥
平安京の入り口である羅城門(らじょうもん)
幅36メートル、高さ21メートルの巨大な門が造られ、
その門の右手(左京)に東寺が、左手(右京)に西寺が創建されたのです!!
西寺はやっぱりあるんですね‥‥

東寺にも西寺にも五重塔があり、平安京の門柱のようにそびえ立っていました。
嵯峨天皇は823(弘仁14)年
東寺を空海(弘法大師)に、
西寺を守敏(しゅびん)に委ねました。
東寺は真言密教の根本道場として発展するのに対して、
西寺は、全国の寺院や僧尼を統括する施設「僧綱所(そうごうしょ)」が置かれ、天皇の国忌を行う官寺として発展したのです
なんと、現在と平安京の位置を重ねて見れるんです✨すごいですね〜 )
平安京オーバーレイマップは → こちらへ☆
話は元に戻しますね♡
ご存知の方も多いと思いますが、
空海は書に優れ(三筆と(空海・橘 逸 勢・嵯峨天皇)呼ばれています)全国の土木事業や灌漑(かんがい)に尽力したことから人々から英雄とされ、民衆の間で絶大な支持を得ていました。
空海が高野山に入定した後、東寺は衰退し始めます



また1055(天喜3)年には、落雷で五重塔が焼失。
天皇や公家に信頼されていた空海は、再興に全力を注ぎます。
月日が過ぎてもちゃんと助けてくれる人がいたというのは、空海だからなんでしょうね。
改めて、空海の素晴らしさを知ることができますね
平安時代の半ばに国家の財政が破綻したため、それに伴って全国にある官寺の多くは廃寺となり、西寺も同じような運命になりました

東寺のように助ける人はほとんどいなかったようです。
現在、西寺は「史跡西寺址」として石碑が建っています。
京都市南区唐橋の児童公園内にあります
また平安京の入り口だった羅城門は応仁の乱で焼け落ちて、こちらも今は石碑だけになっています
826年、弘法大師空海が金堂に続いて創建されました。
存命中の完成はかなわず、没してから約50年後に完成高さは54.8mで、木造塔としては日本一の高さです
創建後何度も焼失し、現存のものは1644年に徳川家光により再建されました
内部は非公開です。
金堂(こんどう)
東寺の本堂にあたります
ご本尊は、あらゆる病から人々を守ってくれる薬師如来と日光菩薩、月光(がっこう)菩薩。
平和で安泰であれと願われています。
国宝です
1486年に焼失されましたが、豊臣秀頼により再建されました
講堂
密教を伝え広めるために建立。
1486年、金堂・南大門など焼失されましたが、5年後に再建されました。
大日如来を中心に国宝の五大明王など21体の仏像を安置。
大師堂
国宝です。
大師在世時の住房で、弘法大師像(国宝)と、大師念持仏の不動明王坐像(国宝)を安置されています
食堂(じきどう)
空海没後の9世紀末から10世紀初めごろに創建されたと考えられています。
*山号【八幡山】
*院号【】
*寺号【】
*正式名称【金光明四天王教王護国寺秘密伝法院(こんこうみょうしてんのうきょうおうごこくじひみつでんぽういん)】
*宗派【東寺真言宗】
*ご本尊【薬師如来】
*札所等【真言宗十八本山・西国愛染十七霊場・洛陽三十三所観音霊場・京都十三仏霊場・都七福神(毘沙門天)・神仏霊場巡拝の道・京都十二薬師霊場】
*開基 【桓武天皇】
*創建年【 796年(延暦15年)】
*住所【京都市南区九条町1】
御朱印は納経、参拝の証としていただいています💕🙏⛩
参拝できましたことに感謝いたします
最後までご覧いただき
ありがとうございました🎵