文子天満宮
(あやこてんまんぐう)
御朱印
とおもっていたら
あやこ‥‥天満宮といい
文子とは、女性の名前らしいです
わたしは、小さい時のよーく遊んでいた
文ちゃん💕を思い出しました。
文子天満宮の 「文子さん」って誰なのでしょうね⁉️
調べると、この文子とは
多治比文子(たじひのあやこ)さん
ということがわかりました。
あの『学問の神様』菅原道真の乳母を務めていた女性らしいですよ。
天神信仰発祥の神社といわれ、北野天満宮の前身ともされています。
18歳で今の大学生にあたる文章生(もんじょうしょう)の試験に合格し
33歳で文章博士となり、その才能を政治にも生かし政治家としても宇多天皇に重用されました!
順調に昇進し出世の道をまっしぐら⤴️✨
醍醐天皇の時代に右大臣に就きましたが、
左大臣の藤原時平を中心に菅原道真を政界から追い出そうとする動きが強まり、遠い大宰府に左遷されてしまいます。😢
なんて悲しいことを‥‥
その2年後の延喜3年(903)2月25日、
菅原道真は病にかかり59歳て亡くなりました‥‥。
それから以降、天候不順や農作物の不作が続き政治の混乱が相次ぎます。
また、藤原時平をはじめ一門が不慮の災いにあいます。
人々はこのような様々な出来事は道真の祟りと考えました。
没後、道真の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)は、
「われを右近の馬場に祀れ」
との菅原道真のお告げを受けました。
※右近の馬場とは、北野天満宮の近くのようです。
しかし、貧しく社殿を建立することができなかったので、右京七条二坊の自宅に小さな祠(ほこら)を建て、道真手作りの道真を祀ったといわれています。
これが「文子天満宮」のはじまりです。
文子天満宮は 天神信仰の代表と言われる北野天満宮が創建されるきっかけとなった神社である事から
『天神信仰発祥の神社』とされています 。
拝殿
道真が大宰府に左遷される際に多治比文子の元へと訪ね、腰を掛けたと伝えられています
どんな気持ちで太宰府に行ったのかと思うと切ないです😢