誓願寺
  (せいがんじ) 

 御朱印 


 阿弥陀如来




 円光大師
と、書かれています。



誓願寺は、新京極の真ん中にあります。
とても賑やかなところにあり、びっくりしました。




山門の真ん中に、パネルがありますよ




「迷子のみちしるべ」

山門正面 向かって左側には「教しゆる方」
左側に「さがす方」

と彫ってあります。

警察のなかった江戸末期から明治中期。迷子が深刻な問題になっており、この石に紙を張って情報を交換したそうです



山門を過ぎて中に入ってみます。



北向地蔵尊






建立はとても古く、今から1350年ほど前のなんと飛鳥時代‼️

大化の改新で知られる天智天皇のご誓願で667年、阿弥陀さまをご本尊として奈良に創建されましたが、平安京へと遷都された事により京都へ移転されたそうです

当時は京都の一条通小川に大寺院が建立されましたが、天正年間に豊臣秀吉の政策により現在地に移転されました。



本堂



阿弥陀如来坐像
一丈六尺(4.85メートル)という巨大な像。
幾度も塗り重ねられた漆で表面は覆われていて、その作成方法や彫りの特徴から鎌倉時代から南北朝時代あたりの作ではないかと推測されています。

もとは京都府八幡市の石清水八幡宮極楽寺に安置されていたもので、お寺は明治維新の頃に戦火で焼け、また当時の神仏分離の影響もあり廃寺となったため、ご本尊の阿弥陀様は誓願寺に移安されることになったのです。(阿弥陀如来について書かれた「寄附録」により)




誓願寺は洛陽三十三観音霊場 第二番札所にも指定されています。
本堂に入って向かって右手の脇壇に十一面観音菩薩が祀られています。
この観音様は通称「ひとこと観音」と呼ばれていて、何でも一言で願いが叶うのだそうです。




誓願寺は、清少納言や和泉式部、紫式部など女性から深く信仰されていたので

「女性往生の寺」と呼ばれています。




誓願寺へ出家したすごく有名な女性がいるんですよ。

ますは、  和泉式部
娘を亡くした悲しみに暮れ、48日間誓願寺にこもり一日中ひたすら念仏を称え往生を願いました。


続いて、枕草子の作者である清少納言
菩提心をおこして尼となり、本堂そばに庵室を結び、その後、念仏して往生をとげました。



それから、誓願寺と深い関係のある方として
松の丸殿

秀吉の側室であった松の丸殿の助力を得て堂塔を再興したそうです。
松の丸殿は、秀吉公の聚楽第在中(天正15年9月~天正19年12月)に、現在の上京区西洞院通一条下る「讃州寺町」にあった屋敷に住んでいて
この場所は、一条小川にあった誓願寺のすぐ近くであることから、松の丸殿との関係が深いということがわかりますよね


そのほか、落語発祥の寺と言われています。
落語の祖と呼ばれる第五十五世法主「安楽庵策伝上人」 芸能との結びつきの強さから『扇塚』という場所が境内にあります。





*山号【】
*院号【】
*寺号【誓願寺】
*正式名称【誓願寺】
*宗派【浄土宗西山深草派】
*ご本尊【阿弥陀如来】
*札所等【洛陽三十三観音霊場・新西国三十三観音霊場・円光大師法然上人二十五霊場・鑑知国師西山上人十六霊場・慈摂大師真盛上人二十五霊場】
*開基 【】
*創建年【667年(天智天皇8年)】
*住所【京都市中京区新京極通三条下ル桜之町453番地】


御朱印は納経、参拝の証としていただいています💕🙏⛩

参拝できましたことに感謝いたします

最後までご覧いただき
ありがとうございました🎵