成田山新勝寺 
光明堂   


大日如来 の御朱印   

 



光明堂へ行く前に 
額堂   があります



額堂ってなんでしょう❓❓


江戸時代に奉納された貴重な絵馬を掲げる建物で入母屋造、全面吹き放し(建具や壁を造らない)の堂だそうです。


1861(文久元)年に建立


中には、七代目市川團十朗丈が寄進された石像がありますよ✨




額堂をすぎると

光明堂

1701年に建立

屋根は入母屋造り瓦葺きで周囲には朱漆が塗られ、華やかなな建物です。










堂内には、正面に大日如来、左側に不動明王、右側には愛染明王が祀られています。
(写真撮影は禁止です)

中でも愛染明王は、良縁・恋愛成就のご利益があるとされ
エネルギッシュ素敵な出会いをもたらし、恋愛成就の手助けをしてくれると言われているんですよ〜❤️    ステキ✨💕






光明堂の裏側にいくと奥之院とかいたところがありました

石壁です。これが、奥の院なのでしょうか、、




奥行きが11m。
御本尊不動明王の本地仏である大日如来(金剛界)が祀られています。

私がいった時はしっかり閉まっていましたが、祇園会(7月7・8・9日の直近の 金・土・日曜日)と祇園祭の期間中開扉されるそうです。





中はどうなっているのかなぁ?(笑)
いつものように隙間から見ようとしましたが、真っ暗でなーんにも見えません😅





扉の両サイドには『板石塔婆』というものがありました





板石塔婆(いたいしとうば)とは
主として供養,追善のために,種子 (しゅじ) あるいは仏,菩薩の像,供養者,造立年月日,趣旨などを表面に刻した板状の石碑のことです。


よーく見るとなにか彫ってありますよ!

わかりにくいですよね😅


調べたら

「右志者為、過去慈父、道禅生霊、百ケ日忌、辰奉訪彼、亡魂仍出、離生死往、生極楽乃、至法界平、等利益也、延元々年(1336)丙子、八月廿六日、孝子敬白」  


写真をじーーーっと何度も何度も見たので、
目が痛くなり疲れました😢



右側にも

一念弥陀仏(いちねんみだぶつ)
即滅無量罪(そくめつむりょうざい)
現受無比楽(げんじゅむひらく)
後生清浄土(ごしょうしょうじょど)  

意味は、
一たび阿弥陀仏を念ずれば、ただちに無量の罪を滅ぼし、まのあたりに無比の楽を受け、後生は浄土に生まれん      だそうです。


左側には

若有善男子(にゃくうぜんなんし)
造立卒塔婆(ぞうりゅうそとば)
其人之功徳(ごにんしくどく)
佛智不可量(ぶっちふかりょう)

意味は、
若し善き男子ありて、卒塔婆を造立するならば、其の人この功徳によりて、仏の智慧を得んこと量るべからず      だそうです。


ほかに「右志趣者為逆修善根、契約人々等建立」「自性之石塔欲領七分全得功徳、乃至法界平等利益」      
生前に自分達の為、死後の供養を行う逆修塔として造立された。

と、あるそうです。




すごいなぁ、、、本当に昔の人はすごいです!!

奥の院らしくとても素晴らしいものを見せていただきました🙏




次に清瀧権現堂・妙見宮



享保17年(1732年)に建立され、新勝寺開山前からこの地を守ってこられたそうです。
清流権現と地主妙見を合祀された鎮守さまです


清流権現は、京都の醍醐寺を守護する女神で、弘法大師が唐・長安の清流寺から勧請した密教の守護神。
妙見菩薩は、仏教の天部(守護神の類)の一つとして日本へ伝来した菩薩様です。


                  (  続く‥‥)



最後までご覧いただきありがとうございました🎵