比叡山延暦寺
平成30年、比叡山から発信する言葉
「憶和敬(おくわけい)」
~和して敬うを憶う~
和敬(わけい)・・・「心を穏やかに、つつしみ深く保ち相手を敬う」と辞書にあります。
世の全てが掛け替えのない存在だ、と憶い至るとき、尊敬の念で心が充たされます。
今の世だからこそ、いつも心に留めておきたいものです。
平成30年 戊戌歳 元旦 比叡山延暦寺
(延暦寺サイトより)
「比叡山延暦寺」は、
京都市と滋賀県大津市をまたぎ東山三十六峰(標高848m)の北側に位置する比叡山にあり、平安京の鬼門を守護するために
平安時代初期の僧 最澄(767年〜822)年により創建された天台宗の総本山。
寺紋は天台宗菊輪宝。
1200年間、今も最澄が祈りを続けていると言われる日本仏教の一大聖地です。
1994年(平成6年)に、古都京都の文化財の一部であり、代表的な日本仏教の聖地としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。
500ヘクタールもある広大な敷地の中に約150ものお堂が並び、大きく分けて
東塔(とうどう)・西塔(さいとう)・横川(よかわ)
の三つのエリアで形成されています。
延暦寺の開山は、788年(延暦7年)に最澄が薬師如来を本尊とする「一乗止観院(いちじょうしかんいん)現在の根本中堂」を創建し比叡山を開いたのがはじまりです。
延暦寺という寺号は、開創時の年号の延暦から付いており、最澄が亡くなった823年(弘仁14年)からです。
ここで最澄は、仏教によって国家を守護し安定させるため、指導者を育成する12年間の教育制度を作り、数々の名僧を輩出しました。
日本天台宗の基礎を築いた 円仁、円珍。
融通念仏宗の開祖 良忍
浄土宗の開祖 法然
浄土真宗の開祖 親鸞
臨済宗の開祖栄西
曹洞宗の開祖 道元
日蓮宗の開祖 日蓮 など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」と仰がれています。
また、「12年籠山行」「千日回峯行」などの厳しい修行が現代まで続けられており、日本仏教の代表的な聖地です。
まずは、横川へ
横川中堂、元三大師堂、元三大師御廟などがあります。
御朱印
聖域の雰囲気が漂ってきます。
横川中堂(よかわちゅうどう)
横川は第3世天台座主慈覚大師円仁によって開かれました。
円仁は、43歳の時3度目の挑戦にして最後の遣唐僧として唐に渡ったものの、唐ではすでに仏教が弾圧されている状況でした。
しかし幾多の困難を乗り越え、9年半後の承和(847)14年多大な成果を得て帰国しました。
ご本尊は、慈覚大師作と伝えられる聖観音菩薩が祀られています。
横川中堂は遣唐使船をモデルにとした舞台造りとなっていて、全体的に見て船が浮んでいる姿に見えるのが特徴です。
舞台造りと鮮やかな朱塗りの建物が印象的です。
現存の堂は昭和46年(1971年)に建造されたものといわれ、それだけに外観は新しく、朱色の塗装も鮮やかです。
織田信長の比叡山焼き討ちにより全焼しましたが、後に豊臣秀頼により再建されたといわれています。
根本如法塔(こんぽんにょほうとう)
横川を開いた慈覚大師が天長年間(824~832年)に法華経を写経し、如法堂に安置したと伝えられています。
大正12年(1923年)に如法堂跡に塔を建てるための工事中に経箱が発見されました。
銅製の箱に金メッキが施され、蓋には「妙法蓮華経」と書かれていました。
この箱は「金銅経箱」として国宝に指定されています。
参拝できましたことに感謝いたします
最後までご覧いただきありがとうございました
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その2に 続く‥