浄真寺は、もともとは世田谷吉良氏の家臣の中でも最も優れたといわれている大平氏の城である「奥沢城」がありました。小田原征伐の後、廃城となりましたが寛文5年、(1675年)に当地の名主七左衛門が寺地として貰い受け、延宝6年(1678年)珂碩(かせき)が同地に浄真寺を開山しました。
広い境内の本堂の対面に3つの阿弥陀堂があります。
正面に上品堂(じょうぼんどう)右が中品堂(ちゅうぼんどう)左が下品堂(げぼんどう)
2014~2034年にかけて「平成九品仏大修繕事業」が行われおり、九品仏像と釈迦如来像の計10躰が順に大修繕されているようです
三体の阿弥陀如来像が安置されていて、三堂合わせて九品仏 となります。この九品の仏から、浄真寺は通称「九品仏」と呼ばれているのです
九品仏ってなに?はこれで納得!!!(笑)
この三つのお堂(三仏堂)
上品堂には、上品上生(じょうぼんじょうしょう)上品中生、上品下生。
中品堂には中品上生、中品中生、中品下生。
中品下生はこれからですね!
下品堂には下品上生、下品中生、下品下生。
阿弥陀如来像が、中央、右、左の順で安置されています。このような九体阿弥陀は、浄真寺の他に京都の浄瑠璃寺でも見られます。
浄土教における極楽往生の9つの階層を表しており、これらをあわせて九品(あるいは九品往生)といいます。これは浄土宗における『観無量寿経』に説く九品往生(くほんおうじょう)の思想に基づくものです。極楽往生の仕方には、信仰の篤い者から極悪人まで9通りの段階があるとされていますよ!(笑)
なんだか怖いなぁ😅
それぞれのお堂の写真の阿弥陀如来の手に注目してください!印相といいますが、仏教において、手の指で様々な形を作り、仏・菩薩・諸尊の内証を標示するものです。
浄真寺の九品仏の場合、阿弥陀如来の印相の内、定印を「上生印」説法印を「中生印」来迎印を「下生印」とし、親指と人差し指(中指、薬指)を接するものをそれぞれ「上品」「中品」「下品」に充てる。と、されています。(Wikipediaより)
定印(じょういん)とは、阿弥陀如来の場合は、両手を胸の高さまで上げ親指と人差し指(または中指、薬指)で輪を作るものもある。
説法印(せっぽういん)転法輪印のこと。両手を胸の高さまで上げ、親指と人差し指(または中指、薬指)で輪を作る。
来迎印(らいごういん)施無畏与願印に似て、右手を上げて左手を下げてともに手の平を前に向け、それぞれの手の親指と人差し指(または中指、薬指)で輪を作る。信者の臨終に際して、阿弥陀如来が西方極楽浄土から迎えに来る時の印相である。(Wikipediaより)
なんだかややこしいですね😅
浄真寺には、「お面かぶり」と呼ばれる仏教行事があります
(ネットよりいただきました)
正式には「二十五菩薩来迎会」といい、3年に一度、本堂と上品堂の間に渡された橋を菩薩の面をかぶった25人の僧侶、信者らが渡るというものです。
人が亡くなった時に25人の菩薩が迎えに来るという教えに基づいたものだそうです。
無形文化財に指定されています
つづく・・・