泉湧寺の塔頭の悲田院
ひでんいん と読みます。
泉湧寺七福神巡りのひとつです。

飛鳥時代、聖徳太子が
仏教の慈悲の思想をもとに身寄りのない老人や放置されている子どもを収容する施設として造られたのが悲田院の始まりといわれています。

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本尊は阿弥陀如来ですが、除災招福の毘沙門天の方が有名です
           
境內はとても静かで、訪れる人はほとんどいない感じです。

本堂もご本尊も見ることはできませんでした。

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快慶作と伝えられる
宝冠阿弥陀如来座像



座像はヒノキ材で高さ72cm、幅49cm。
ファイバースコープで胎内を撮影したところ、
頭部に快慶の作品であることを示す墨書の銘文「アン(梵字)阿彌陀」と、5人の弟子の銘文が記されていたそうです。

逆手の阿弥陀如来立像


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鎌倉時代の「阿弥陀如来立像」は、本来は左手の与願印右手で結ぶことから
「逆手の阿弥陀如來立像」と
呼ばれているそうてす。


御朱印

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御朱印を見ると
山号が違うんですね。
どうしてなんでしょう、、


山号(泉山または施薬山

宗派(真言宗泉涌寺派)

ご本尊(阿弥陀如来立像)

札所(泉涌寺七福神巡り

開基 (聖徳太子)
創建年(飛鳥時代)
住所(京都市 東山区泉涌寺山内町27)


參拝できましたことに感謝いたします

また、最後までご覧いただきありがとうございました