足利尊氏の菩提寺 等持院です


{56F2225D-204A-4DA1-9862-436841DFD617}


暦応4年(1341年)、足利尊氏将軍が天龍寺の夢窓国師にお願いして、衣笠山の南麗に創建された臨済宗の寺です。
足利一五代、二三〇余年の歴史の貴重な文化財が保存されています。



{95B50BA3-E0F3-4398-B979-772DA523F7F1}

境内に入ると、大きな達磨図が!!
とにかくものすごい迫力です!!


{B398A70C-901E-4B9B-8AA2-0E15A4CD3AD9}

この達磨図は禅宗の開祖である達磨大師を描いたもので、天龍寺の元管長で等持院の住職でもあった関牧翁(せき・ぼくおう)の作です




{8E466CBE-FA73-41A3-A074-9AD4ECAB68A5}


方丈と書院の前に広がる庭園は、夢窓国師の作庭と伝えられています

庭園は回遊式で、

北側に義政公好みの茶「清漣亭(せいれんてい)」

西の庭は芙蓉池と称し衣笠山を借景にした池泉回遊式

心字池(しんじち)の北には歴代の供養塔が建てられている。

{CD7CE203-94A7-4641-85FC-B0906C7329FB}


境内の霊光殿(れいこうでん)には、足利家15代将軍の木像(5代、14代像を欠く)と徳川家康の木像が安置されています。


創建にあたり尊氏は足利家の菩提寺を三ヶ寺建てようと決意しました

「等持寺」の名には一字に一個ずつ、あわせて三個の「寺」の字が含まれます。

それが尊氏の三ヶ寺建立の願いの表れだといいます。

足利家の三菩提寺、その第一号が「等持寺」で続いて衣笠の地に「別院 等持院」と、隣あって真如寺が建てられました

尊氏の死後、別院等持寺は尊氏の墓所となりその名前を「等持院」と改称しました。

その後、応仁の乱で本寺「等持寺」が焼失したため、別院だった現在の等持院が本寺となりました。


御朱印です。

photo:06



山号(萬年山

正式名(等持院)

宗派(臨済宗天龍寺派)

ご本尊(釈迦牟尼仏

開基 (足利尊氏)
創建年(暦応2年(1341年
住所(京都市北区等持院北町63

参拝できましたことに感謝いたします

最後までご覧いただきありがとうございました