京都市右京区高雄にある高野山真言宗遺迹(ゆいせき)本山の寺院です。

「遺跡本山」
「いせき」と読みそうですが、
「ゆいせき」と読みます。
ゆいせき本山とは、お大師さまに特にご縁のあるお寺のことで、日本でも2ケ所しかありません。

・総本山 金剛峰寺
・大本山 寳壽院 (ほうじゅいん)(和歌山県)
・遺跡本山神護寺(京都)、観心寺(大阪)

ゆいせき本山、初めて聞きました!
覚えておかなくっちゃね!

お寺の駐車場がなく、近くのホテルの駐車場にとめました
参道昇り口にある「弘法大師霊場 高雄神護寺道」の石標

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神護寺へ急な階段がしばらく続きます

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平安京造営に功績のあった和気清麻呂は、781年(天応元年)に河内に神願寺を建立し、
ほぼ同時期に山城に高雄山寺を建立しました

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809年(大同4)には弘法大師空海が入山、
以後14年間住持され真言宗立教の基礎を築かれたところで、同大師を初代としています。

神護寺は、空海が東寺や高野山の前に一時住したお寺であり、
最澄もここで法華経の講義をしたことがあるなど、日本仏教史上重要な寺院です。

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824年(天長元年)
神願寺と高雄山寺が合併され「神護国祚真言寺」(じんごこくそしんごんじ:神護寺)となり 空海とその弟子によって整備が進められ、
それ以後真言宗として今日に伝えられています。

神護寺は最澄、空海の活躍によって根本道場としての内容を築いていきましたが
994年(正暦五年)と1149年(久安五年)の二度の火災にあい,
鳥羽法皇の怒りに触れて全山壊滅の状態となりました。
わずかに本尊薬師如来を風雨にさらしながら
再興に尽力したのが文覚です。
後白河法皇や源頼朝もその再興を援助したそうです。

中で説明をして下さいました。
とても丁寧でわかりやすく、
空海と最澄、、そのお二人がこのお寺にいただなんて
日本の仏教史上とても重要な寺院だということがわかり
また開基の和気清麻呂は奈良時代末期〜平安時代初期の高級官僚で、歴代天皇の側近として平安京遷都などに力を発揮した方とはビックリです!、



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神護寺は紅葉の名所で秋はとても賑わうそうですか、
お寺好きの私としては
紅葉ではなくとても由緒あるお寺なので、そういう所に目をひいてほしいと思いました。

この日も参拝者が少なく
とても静かでゆっくり境内を見ることができました。

御朱印

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正式名(高雄山 神護国祚真言寺  (じんごこくそしんごんじ))
本尊(薬師如来
宗派(高野山真言宗
開基 (和気清麻呂
創建年(824年(天長1))
住所(京都府京都市右京区梅ヶ畑高雄町5)