4月に行ってきました
伝通院「でんつういん」と清音で呼ばれることが多いのですが、
正しくは「でんづういん」と言うそうです。
慶長7年(1602)8月、徳川家康の生母於大(おだい)の方が75歳で伏見城で亡くなった際に、
芝増上寺の存応(ぞんのう)上人と相談した結果、この寿経寺を菩提寺とすることになりました。そして、極楽水から現在地に移転し10万坪の面積をもつお寺を造営して、於大の方の法名「伝通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」にちなんで「伝通院」と名付けられました。
存応上人の高弟正誉郭山和尚が住職となり、幕府から600石を賜っています。