西国三十三所番外
播州清水寺からJR相野駅にいき
それから三田駅で下車。
バス出発まで1時間ほど時間があったので、ランチしました☕️
ここも花山院までいくのにはバスを乗りますが、
1時間に1本ぐらいしかありません。
三田駅北口停留所の11番のりばから「乙原(おちばら)バレイ」行きに乗車。
「花山院」で下車します。
約14分。
バス停から花山院まで徒歩です!
かなりキツいと聞きましたが、以前行った西国の中で1、2番の難所といわれる施福寺に行ったんだから大丈夫✌️
って思っていたら、道は舗装されていますが
かなりの上り坂!
とっても厳しいです
バス停を降りたらところに杖があったのですが、その意味がわかりました(笑)
距離は900m、標高差は170mだそうです。
必死で汗を流しながら歩いていく横をクルマがどんどん走っていきます
誰か乗せてくれないかなぁ
と、ふと思いました(笑)
が、気をとり直して昔の人はもっと大変な道を行ったんだから頑張れ~
頑張れ!
頑張れ!!あたし!
と、励ましながら歩きました
歩いている人はいませんでした(≧∇≦)
30分ほど登ってやっと山門が見えてきました。
山門の前に何人かいらっしゃって
ひょっとして歩いて登ってきたんですか?
と驚かれました
このお寺は法道仙人が創建したと伝えられています
法道仙人は念持仏、仏舎利と鉄鉢だけを持ってインドから雲に乗ってこの地にきて、
西国25番の清水寺や、西国26番の一乗寺を創建しました
西国三十三所巡礼は、長谷寺の徳道上人によって始まったといわれています。
養老2(718)年、徳道上人は病で仮死状態になりました。
そのとき、夢の中に閻魔大王が現れて、
養老2(718)年、徳道上人は病で仮死状態になりました。
そのとき、夢の中に閻魔大王が現れて、
「お前はまだここにくるべきではない。
世に苦しみ悩む人々を救うために三十三カ所の観音霊場をつくり参拝を広めよ」
と言い三十三の宝印を授けました。
仮死状態から生き返った上人は近畿内に三十三カ所の霊場を設けて巡礼し、その功徳を説いて回りましたが、
世間の目は冷たく信じてもらえないまま。
仮死状態から生き返った上人は近畿内に三十三カ所の霊場を設けて巡礼し、その功徳を説いて回りましたが、
世間の目は冷たく信じてもらえないまま。
仕方がないので、宝印を中山寺の石窟に埋めてしまいました。
晩年隠棲した寺が奈良桜井市の法起院です。
時が流れ270年後、この宝印を掘り起こし観音霊場巡りを再興されたのが「花山法皇」
16歳で第65代天皇に即位しますが、わずか2年程で政治的陰謀により出家された寺が京都市山科の元慶寺。
仏門に入られてからは西国三十三所巡礼を再興する大事を成し遂げ、
41歳で崩御されるまで14年間を過ごされたのが花山院。
霊場ゆかりの地として番外寺院となっています。
花山院は西国三十三国巡礼中の花山法皇が播州清水寺に登った際に辺りの景色を見渡したところ、
東に美しい土地があるのを見つけ訪れたところ大変気に入ったそうです
この奥で御朱印をいただきます
御朱印
宝珠の中に三つの梵字があり、
一番上が「バイ」で本尊薬師如来、
右下が「ウーン」で三宝荒神、
左下が「キャ」で十一面観音を表すんですよ。
(三宝荒神は花山院菩提寺の鎮守)
って説明してくれました。
正式名(東光山 花山院菩提寺)
本尊(薬師瑠璃光如来)
宗派(真言宗花山院派)
開基 (法道)
住所(兵庫県三田市尼寺352)