どうして看護師さんになりたかったの? | 十勝からLOVE 自然と共に生きるスタイル

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いつも心に太陽を。

    

今晩は。心と体のパワーチャージ久保田陽子です虹


「どうして看護師さんになりたかったんですか?」

と聞かれることがあります。

「幼い頃からの夢でした」

そう答えています。


よく考えると家庭環境も影響があったようです。

私には、直接会うことがなかった、6歳上の姉がいます。

神経芽細胞腫で、3歳で亡くなりました。

母は、2番目の子を産み、すぐに

1番目の子を亡くしています。
3番目に生まれたのが私です。


父は少なくとも、私のいる前では1度も仏壇に手を

あわせた姿をみたことがなかったですし、

子供心に、両親が悲しむから聞いてはいけないことだと

感じて育ちました。


が、両親が言わなくても、親戚のかたから情報は、入り

当時AB型の血液がたりず、父が毎日献血をして

大学病院の治療費を稼ぐため、仕事をしていたこと。。

そして大工さんなので、貧血になり、何度も怪我をしたり。。

ラーメンが好きな姉であったこと

亡くなったとき、大学病院で今後の医療のため

姉を解剖させてほしいと依頼があった時、

父が激怒したとか。。しないとか。。


母は、絶え間なくお花を活けていたけれど

それでも、何にも話してくれませんでした。


私が小学校5~6年生の時、

りかちゃん人形が流行っていて、もっていないことを口実に

いじめられたことがあり、

母に「どうして、りかちゃん人形買ってくれなかったの」

とたずねたら、

姉が亡くなる時、お官にたくさん淋しくないように

入れたらしく、どうしても りかちゃん人形を

私や3つ上の姉に買ってあげられなかった。。

と泣いて話してくれた覚えがあります。


そんな環境からも、困っている人の役に立ちたい

こんなことを思い続けていて、看護師になりました。


そして私は、何十年も看護師をして

学校や現場教育では教わることのなかった

自分をみつめるシンボリックメソッドを学んでいって今日です。

シンボリックメソッドを受講して、私の変化について

こちら=シンボリックでの私の変化① から⑨まで書いてます。


あなたは、幼い頃どんな夢をお持ちでしたか?

幼い頃の夢は、今どうなっていますか?