ブログ記事とは、うらはらに 対面してみると「こんな元気でパワフルとは、思わなっかった」と
言われちょっと微妙 な??わたくしです。
今は、目先の事ではなく、私を少しでも知っていただきたく、記憶を呼び覚まし
プロフィールを書いているので、パワフルさには、欠けてしまうかもしれませんね。
さて、中学生時代の私についてです。
勉強おちこぼれでした。が、まじめでしたよ
部活バレーボールでしたが、万年補欠でした。
試合形式の練習の時なんか、気になる男子にいいとろを、
みせたくてベンチで悔しかったです。
恋 一つ歳うえの方が好きでした。
交換日記なんかしちゃって えへへ
友人中1の夏くらいから仲良くなった部活の友達と、遊ぶようになり、
帰りが遅くなり、玄関を絞められ父親に怒り狂われていました。
当然母親は、友人宅へ連絡するわけで、
その時に親同士、ヒトモンチャクあったらしく、
私達もきまずくなり、誘われても必ず夜帰りが遅く、
20時過ぎになるので
誘いを断ることによって、集団いじめにあいました。
アパートがぼろ屋だとか、天然パーマだからバカなんだとか、
母がデブとか。いろんな理由を天才のようにつけるのです。
いろんなものをとられたり、トイレで水をかけられたり、
それでも、親に心配かけるからと、言えませんでした。
1年半くらいつづいたかな。
3年生になり、新しいクラスがえもあり、いじめの中心だった子が
何がきっかけかわからないけれど、ひとりぼっちになり、
私は3人の友達と仲良くなり、4人で行動することが
多くなりました。
今は、みんな引っ越してどこへ行ったかわかりません。
私だけ、地元に戻っています。
集団とは、よくもわるくもパワーが強く、
かばう人までいじめにあっちゃします。
小学校からの友達は、「助けてあげられなくてごめんね」と
よく手紙をくれました。
先生たちは、しらんふりでした。
その証拠に、部活の顧問の先生は担任でもないのに、いじめを知っていて
卒業時期に、「お前は死ぬかと思った」と。。。
卒業式。一番嬉しかったのは、この私で、もう行かないでいんだと
心から解放された、卒業式でした。
そうだ私は当時、姉の影響もあり、松山千春さんの曲を聴いていて、
友人3人の前で、教卓にあがり、放課後こっそりミニコンサートをしました。
3人には、かなり強烈だったようです。
そんな中学生時代でした。
もし私に子供がいたら、教えるでしょう。
いじめれば、必ずおてんとう様が見ていて自分にかえってくるんだよ。と
そして、理不尽にもいじめられ、耐えられないのなら頑張る必要はないよ。
私もいじめられたから、あなたの気持ちがよくわかるよと。
学校は、行かずに別の方法を考えよう。というでしょうね。
学校の教育がすべて、学歴だけがすべてじゃありませんからね。