小学生時代の私について
勉強あいかわらずボーとしているので、勉強はできませんでした。
テストの答案用紙は、親に見せると、叱られることを覚え、
ほとんど帰り道の途中、
排水溝のある溝にテスト を捨てていました。
なので、テストの復習、予習をしましょうと先生に言われても、
テストを捨てちゃっているのだから、おちこぼれです。
よく学校前で、塾の介入がありました。
「おちこぼれないように、塾に入りましょう」と
「おちこぼれの子は、どうするの?」と聞き返しておりました。
今の私なら言うでしょう。
テストは、きちんと持ち帰ってね。と
そういえば、いつの日か、テストを親に捨てていることが、
ばれていました。
私だけの秘密のつもりだったから、それは、びっくりでした。
習いごと父が、字は大事だからと、習字だけは、習いにいきました。
小学2年生から、中学3年生になるまで、通わせてもらいました。
実際に先生の字を父はみて、決めてきたそうです。
はじめは、た~いへん。字を書くより、洋服に墨をつけて
墨だらけで、帰ってくるような子でした。
墨は、早ければ、のりでとれます。塾仲間に教えてもらい、
ずいぶん助かりました。
今は、最先端の洗剤があるでしょうが。
この書道に時間は、はやりの情報交換が、塾生同士でできたり、
私は、静かに時間をすごせる、集中できる大切な時間でした。
給食自宅の食事と違いすぎて、給食になれるのには。。
時間がかかりました。
食パンは自宅では、焼いてくれていました。
食パンは焼いて、食べるものと思い込んでいたので、
焼かないパンを。。。
スプーンの裏側でつけて、そのスプーンでシチュー。
なんじゃこりゃあ~。でした。
ぶどうパンの時なんて、まったくだめで、
お昼休みに遊べないこともありました。
そのうち知恵がついて机の中い隠すことを覚えました。
が、掃除で机の中にカピカピのパンが、ばれていじめられました。
母は、連絡帳に給食のことを書かれたらしく、
シチューを自宅で作ってくれました。
私が好きなトウモロコシだけを入れて、何度もつくってくれて、
シチューや、焼かない食パンを克服できました。
興味テレビが大好きでした。
魔法使いサリー、ロボコン、ゴレンジャー、キャンディーキャンディ
マジンガーZ,ガッチャマン、秘密のあっこちゃん、などなど
今でも主題歌が歌えるほど、かなり、はまっていました。
近所の子供同士で、ガッチャマンごっこや、
〇〇ごっこをよくしました。
外へいけば、近所の誰かがいて、自然と遊んでいました。
小学4年生頃から引っ込みじあんから、どうゆうわけか?
性格がかわり、よくしゃべるようになりました。
学芸会では、「意地悪ばーさん」の主役でした。
主役でも意地悪役で、あんまり嬉しくなっかったですけど。
それからは、自己主張できるようになったぶん、
いじめにもあいました。
母親がデブだといじめられました。
そのくせ、私は母に「デブ」といってました。母は、笑っていました。
その頃からですね。人の外見、容姿に関しては、
絶対言っては、いけないと心に決めました。
自分がかなり傷つきましたから、絶対容姿のことは、
けなしちゃいけないと。。ね。
集団生活のなかで、教訓になりました。
よ~く、居残り勉強で、ひとり学校に残ることが、多かったです。
また、遠足の前の夜は、興奮してねれないことが多く、
当日は、熱をだしちゃう子供でした。
それでも、学校は、休まず皆勤賞でした。
最後に一つ。。。
私、実は、小学校にあがっても、「おねしょ 」をしていました。
母は、「おねしょ」に関してだけは、一度も私を叱りませんでした。
勉強しないと叱り、ご飯を食べないと叱り、早く寝ないと叱り、
朝起きないと叱り、やることが遅いと叱り。。。
それでも、「おねしょ」だけは、叱られなかったあ~。