陽子は、どんな人4 をお読みいただけると幸いです。
なぜなら、私自身が、石橋たたいても、歩かないタイプで、直接会ってみての感覚派です。
後後、きっとこの地道な作業が、お会いしたあなたにきっとと思い、今日もつづります。
母が嫌い。父が大好きな私は、弟が幼いからという理由で、
父の田舎に、父と姉と3人で、夏休みにお泊りしに行きました。
うるさい母親がいないわけですから、万々歳のはずが、
父の田舎に行ったとたん父は、従兄弟をかわいがり、かまってくれません。
そうこうしている間に、高熱をだし、田舎の病院に行き、
ご親戚一同大騒ぎ。。
しゃべれなくなってしまいました。。。言葉がでなくなっちゃたんです。
祖父が、魔除けにと梅干しを、額においても、「やめて~」の声がでません。
なぜか次の朝、母に父が連絡したらしく電話の向こうで
母が「熱だしたんだね。ごめんね。」と。。。
私「帰る。。」と大泣きしました。
ご親戚一同、私がしゃべれるようになったと、万々歳。。
あわてて、東京に戻りました。
のちのち父には、「あの時は、まいったあ~」
姉には、「あ~んた田舎でしゃべれない病になったのに」と
ことあるごとに言われていました。
母は、お赤飯を炊いて、待っていてくれました。
「なんで、お赤飯なの?陽子好きじゃない」ふてくされて食べたっけ。
とっても、家のなかでは、おさわがせものでした。
父の故郷の写真をのせます。
私は、この写真をみるたび、行動する勇気をいただきます。
コンビニひとつありません。
父は、田舎で、住み込みをし、大工になり、
リヤカーひとつでこの地を離れ、東京にきたそうです。
モジモジしている時、心に問いかけられる景色です。