陽子は、どんな人?4 | 十勝からLOVE 自然と共に生きるスタイル

十勝からLOVE 自然と共に生きるスタイル

いつも心に太陽を。

    

東京生まれの、東京育ちの、わたくし。子供の頃は、よく公園で遊んでいました。


ご飯と迎えにきてくれるまで、よ~く遊びました。


どろダンゴをつくったり、葉っぱで笛を鳴らしたり、ダンボールをゴミ置き場から拾い


滑り台に加速をつけて滑るんです。


鉄棒では、「さかあがり」。 幼稚園でできなくて、悔しくて何度も何度も練習しました。


手の皮がむけても、「さかあがり」ができなくて、ご飯だよと迎えにくる母を見るなり


大泣きしてました。悔しいし、手は痛いし、甘えたいし、


姉が見本をみせてくれても、できなくて、母は、なめてれば治る とスパルタ。


父が抱っこして、手の傷の治療をしてくれました。


やっとできた喜びは、すぐに父に教えようと、日曜日お披露目です。


すごく、得意げになったのを、思い出します。


母は、お赤飯をたいてくれました。


今思えば、母のお赤飯は、最大の愛情だったんですね。


陽子ワールドの世界では、きずくこなどありませんでした。


それどころか、「世界むかしばなし」のテレビに影響せれていた私は、捨て子だと


母が言うのを本気にして、いつか本当の母に会いに行こうと本気で、考えている子でした。


「ねえ。父ちゃん。陽子が大きくなったら、本当のか~シャン探そうね」


いっつも、父に内緒話をしている子でした。が。。


はじめて母と離れた日、それは、幼稚園の夏休み。


父の田舎に、姉と3人で行った時。。。


それは、次回とさせていただきます。