陽子は、どんな人?3 | 十勝からLOVE 自然と共に生きるスタイル

十勝からLOVE 自然と共に生きるスタイル

いつも心に太陽を。

    

プロフィールを書いています。まだお会い貴方に、陽子を少しでも知っていただきたいからです。


どんな人か?お会いする前の最低限のマナーと感じました。


今日の記事は、私立幼稚園からです。


私立幼稚園!なんと響きがよく、英才教育なんでしょう。


そうイメージするのは、私だけ???では、ありませんよね。


ここだけの話、裏口です。。な~んて言いたいところですが、


区立の幼稚園が、自宅から子供が一人で通うには、2キロ以上あり、


近所の私立幼稚園にしたそうです。(ガックリ)


はじめての幼稚園。今でもその後景を覚えています。


みんな、母親と別れ幼稚園に残るとき、泣いてました。


みんな、帰ろうとする母親を追いかけ、この世の終わりかと思うくらい


泣いておりました。


私??ひとりで教室の椅子に座り、みんなが泣いているのを


「なんで?後で迎えにくるのに」と不思議に感じていました。


泣き虫陽子は、泣かずにボーとしていました。


あとから、母親が、さんざん褒めてくれたけど、


迎えにくるっていったから、待ってただけで、褒めてくれる意味が解らない子でした。


ボーとしているから、人の話を聞いていないわけで、


人の話を聞いてないから、集団行動のなか、ワンテンポどころか、


人とずれていて、折り紙で鶴を折る時間でも、先生が見本をみせてくれても


視ていない。きいてない。だから出来ない子でした。


「陽子ちゃん。早く!」なんて言われると、家ではスパルタ教育!「早く!」と


叱られる日々に変身、私にとっては、幼稚園でも家でも「早く!」の言葉に


反応して、とにかく泣いていました。


ボーとしていて、すぐ泣く子、集団生活から遅れをとる子でした。


園長先生の面談で、「知恵遅れの可能性があります」と母に伝えているのを


私のいる前で言うもんだから、今でも覚えています。


母は。。。。ひたすら頭を下げておりました。


幼稚園時代の陽子ワールドの世界では、下をうつむいて歩いているような子でした。


母と私は、この幼稚園時代から心の戦いが、はじまります。


とにかく、やかましく、ガミガミ、うるさくて母のことが大嫌いでした。


面白い事に、だっこして、おんぶして、「よしよしよし」となだめてくれる父のことが


大好きで、「おっかあにおこられちまったか」「それは、な~陽子が。。」と


とてもわかりやすく愛情を注いでくれる父は、心のよりどころとなりました。


母親との心の戦いは、私が41歳になるまで続きます。


父親のわかりやすい愛情表現。わかりやすい説明は、私の人生の中で


男性とのかかわりかたで、よくも悪くも基盤になります。


世の中みんな父親のように、わかりやすく伝えてくれるわけじゃないと


数少ない恋愛から、学んでいくことになろうとは、そのころ知るよしもありませんでした。


弟が生まれだいぶ他人と話ができるようになった頃の写真をのせておきます。

一人でがんばらなくても、幸せになる方法


一人でがんばらなくても、幸せになる方法