まだお会いしていない あなたへ
シンボリックに出会うまでの私の人生を
あなたに知っていただきたく、プロフィールを具体的に書いてみますね。
まずは、小学校に入る前までです。
父は40歳 母は34歳の時、4人兄弟の3女として、この世に生を受けました。
母が、丈夫な子供にと、一生懸命肥えていただき、3560g。
4人兄弟と言っても、一番上の姉は、私がこの世に生を受ける前になくなっています。
神経芽細胞腫 といって当時昭和30年代では、不治の病だったそうで、
特に親から説明もないまま、自宅には、当たり前のように仏壇もあり、
写真がかざられていました。
けれど、私は、ほとんど父の手をあわせた姿をみたことがありません。
子供なりに聞いては、いけないことの一つでした。
大きく生まれたのにもかかわらず、食の細い私に親は、大変です。
風邪をひいたときなんて、もうそれはそれは。。。
も~う、父親がとくに、神経ピリピリさせて、夜中に寝ている母を起こし
氷枕の氷が解けたのにきずかないのか?と喧嘩がはじまるくらいで、
父親は、とにかく病気になると、神経ピリピリで、看病してくれました。
私の実家には、ガラスのコップがありませんでした。
父は、ガラスのコップが壊れ眼に入って、失明したらどうするんだと
とにかく禁止、着色料のあるものも禁止で、癌になるからと絶対だめでした。
夜泣きをする私をおんぶしてくれるのは、いつも父でした。
父は、私を男の子のように、スポーツがりヘアーにし、かわいがってくれました。
あるとき、自転車事件が、おきました。
続きは、次回に。