小学生だった頃、親が日中いないのもあって、
平日の放課後はおばあちゃんちで過ごしていました。

元農家のおばあちゃんちでの暮らしについて話すと
「東京にそんな暮らしをしてる人がいるの⁉」
と驚かれることがあります。(私は平成生まれです)



けっして東京=大都会ではないのです…



 

水洗ではなく、ボットン便所

ボットン便所という言葉は今も通じる言葉なのかな?


わたしが小学校中学年までは、


母屋に

・男女兼用ボットン便所

・男用のボットン便所

納屋に

・和式のボットン便所


がありました。


たまに友達が遊びにきてトイレを貸すときに「廊下の突き当たりだよ~」と雑に案内すると

「ど、どっちのドアに入ればいいの…?」と2つあるトイレに困惑してました。

(そのあと両方のドアをあけて見せると、男子用のトイレ初めて見た!と言われるまでがセット)


あと水は流れなくてトイレットペーパーもそのまま下に捨てていいよって教えるとすごく驚かれました。




納屋の和式トイレは、畑仕事から帰ってきて外から入れるように作ったそうです。


↓ちょうど紫陽花のうしろに写ってる建物のところが納屋のお便所


納屋のトイレは「昭和のおばけがでてきそうな古めかしい便所」でちょっと怖いんですが、

外で遊んでても直接トイレに行けて案外便利。

(夏は臭いけど)



家のなかにあるボットン便所は不思議とまったく臭くないんですよ。


あれなんでなんでしょう?



ただ溜まった汚物を回収する日だけは猛烈な匂いでした…。

(その後、2000年か2001年くらいに回収してくれる業者が廃業して水洗トイレに工事しました)



 

風呂は外の建物にある

お風呂は母屋と別にありました。


これまた畑仕事で帰ってきて風呂へ直行できるように別の建物にしたそう。



夏はまだいいんですが、冬になるとこれが寒くて寒くて😂


お風呂でせっかく温かくなったのに、髪がぬれた状態で真冬の空気に当たらないといけないんです。

屋根もあって歩いて2歩だけど、極寒の外。


誰もヒートショックを起こさなかったのが奇跡…。



でもお風呂そのものは好きでした。


浴槽が木製で、肌触りがいい。

湯に浸かる前に、木の湯かき棒でよーく下から混ぜるのも子供ながらに楽しかったです。(42~3℃とかだから死ぬほど熱い)


広くて温泉みたいだと思ってました。



ちなみに父が小学生のころは、薪で風呂を焚いていたそうです。当時としてもそんな家はもうなかったらしく、しかも茅葺き屋根だったので、友達を連れてくると驚かれたらしい。



 

井戸とお稲荷さんの祠がある

裏庭に井戸もありました。

(レトロなポンプ式ではなく、蛇口をひねるタイプ)


トイレはボットンなのに、井戸はなぜか便利に工事してて謎すぎる😂


小学生なんて泥だらけで帰ってくるので、井戸水で洗ってきなさい!とよくおばあちゃんに言われてました。


水道水と違って真夏でもキンッキンに冷たい!



そうそう、井戸水も小学校低学年くらいまでは飲んでまして、そういう人ってピロリ菌にかかることがあるそうなんです。


消化器科で「ピロリ菌かもしれないから胃カメラしたい」というと「この世代ならまずない」と断られて笑


いやいや東京だけど井戸水飲んでたんです!と慌てて訴えたら、胃カメラしてもらえました。ちなみにピロリ菌はいませんでしたv



あとはお稲荷さんのほこらですね。

時期になると五穀豊穣(だったかな?)と書かれた旗とカラフルな紙でできた飾りをして、ほこらの中にいるキツネさんの置物にご飯とお水をお供えしていました。



 

黒電話がある

これも私が小学生の頃まででしたが、黒電話を使っていました。(黒電話オンリー)


ぐるっと回してじーっと戻り、またぐるっと回してじーっと戻る感覚が楽しいんですよね。


たまに友達に電話を貸すと

「これどうやって使うの?」と聞かれて

みんなのおばあちゃんちは黒電話じゃないのか!と思った記憶があります。



これまたオレオレ詐欺が流行ったときに、あぶないからということで録音機能つきの電話に変えました。


 

自家製梅干し、自家製ぬか漬けがある

家で取れた梅の実で梅干しを作ってました。


ぬか床は屋外保存。北側の軒下にありました。


なぜ家のなかに移さなかったのか、今となってはよくわかりません。


夏も冬も、おばあちゃんが大きいぬか床にひじくらいまで入れて毎日かき混ぜてた記憶があります。

(たぶん孫のなかでぬか床に触れたのは私だけだったと思う)



 

たけのこ、栗、柿はもらう物

竹林、栗林の土地を持っていて、たけのこと栗は毎年たくさん食べました。


小学校から帰ってきて、玄関先に栗が干してあるとラッキー!

(晴れた日に何日か干した栗は黄色くて美味しいんです!)



大人になってスーパーで値段を見たとき、こんなに高いものなのかとおったまげました。


柿も庭に植わってあるので、買うという発想がなかったです。



 

クーラーはない

これが一番つらいと言ってもいいでしょう。


昔の家ってエアコンをつける想定で作られていないので、つけられる壁がないんです。

もしくは壁があってもコンセントが近くにない。



なので、わたしが高校生になるまで扇風機オンリー。

とはいえ私が小学生だった頃の夏は気温は高くて32度くらい。
そして普通の家よりは風が通る家だったため、なんとか過ごせていました。

が、わたしが高校生くらいになると、夏の気温が35℃を超えはじめ、高齢者が家で熱中症で亡くなるというニュースが出てきました。

これはさすがにまずいだろうということで、なんとか1ヵ所に設置。(じゃあ10年前にも設置できたんじゃ…という謎は残る)




以上、東京の田舎暮らしエピソードでした。


全部が不便かと思いきやそうでもなく、いろんな工夫がされましたね。生き抜く力は鍛えられそうな家でした。

虫や蛇が多かったのは嫌でしたけど。


桑の木なんかも多くて、おばあちゃんに桑の実採ってきてよ~ひさしぶりに食べたい、なんて言われた日には、

ボウルを持って近所の桑の木を何本かまわって採ってましたねえ~(公園や、自分ちの畑の木です)


なかなか地方育ちの子でも共感してもらえることがなく、平成にああいう生活が出来たのは今思うと貴重なのかもしれません🐱


おしまい。