【温もり】ラディフェスのお手伝いを終えて。【感想】 | よっけ - yokkeOcarina

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日々の楽器練習や録音・撮影において苦労した話や工夫話、
音楽の考え方や哲学などをアメンバー限定にて公開します。


<まえがき>

皆さん、こんにちは&こんばんは!
ラディフェスこと「Radiant Sun Rock Festival」が無事に終わりました。

僕は主にドラム関係、ついでに音響さんとの連携でステージ上まわりのお手伝いをしてきました。
非常に有意義かつ僕の人生では滅多に体験できないであろう一時を満喫してくることができました。

今回のイベントを通じて感じたといいますか、僕の中で結論づいた感情というものが一つある。
それは、「本当に人に必要なものは"温もり"である」ということです。

イベント内容についてよりも、僕が思った理論的な思いに関する内容の方が多く、めちゃくちゃ長いので項目別に書いていこうと思う。



<人が頑張れるのは"温もり"があるから>

まずは結論から書こうと思います。

人が頑張れるのは"温もり"があるから」という結論です。

実をいうと、イベントが終了し片付けが終わった後。
僕は生まれてとある初めての体験をした。

それが温もりを感じた体験である。

これは変な意味の温もりではなく、とある心優しい人がイベント&片付け終了後に感じさせてくれた「お疲れ様」の意を込めた共有の温もりである。
そこで一瞬にして気付いたのが、"人は温もりがあるからこそ生きていけるのだな"、という事である。

大げさな表現や例えかもしれないが、人はこの世に生を受ければ体に温もりを持って生きる事になる。
ゆえに体温という名の"温もり"があり、体を動かすことができ、自分の人生というストーリーを築き上げていく事になるのだろうと思う。

そしてその人生の中で他の温もりたちと時にぶつかったり、他の温もりと馴染み合ったり、時に外の温もりと寄り添ったり離れたり。

そして体から温もりが消える時は死ぬ時である。




<ハプニング>

今回、ラディフェスのステージまわりでお手伝いをしていた中、実はお客さん達の知り得ないところや見えないところでは数え切れないほどのハプニングが起きていた。
関係者各位、慌ただしく動きながら連携して動いて何とか乗り越えるの繰り返しで、これはまさに"戦い"であり"熱"でもあった。

人は風邪をひいた時、熱を出す。
そうそれは体の中の戦いである。

でもその熱によって体の中のハプニングと戦い、乗り越え、免疫の獲得と共にハプニングに勝利して健康体を築き上げていくというプロセスが行われているわけであり、今回のイベントもまさにそれを体感するような一面が我々にはあった。

この助け合いや協力・連携もまた温もりである。
数々のハプニングを通じてスタッフたちと一緒に乗り越えていく様は非常に爽快で、小さな達成感の連続を仲間たちと共に共有できた気がする。




<少年団>

今回、イベントスタッフの一人で自身が「少年団」というもので得た体験のお話をしてくれた人がいた。

名探偵コナンというアニメがわかる人なら、少年団と聞くとあの「少年探偵団」のような団結力のある少年団をイメージしてくれて差し支えないと思う。

全て書くとこれがメインの話になりかねないので簡潔に書くが、定期的に大人と少年たちで一箇所に集まり、決められた時間に起き、決まった行事を正しく行い、決められた内容を共に行動し、決められた時間に寝るという事をしっかり大人が子供たちに教え、大人が教えても一人が何かできないときは周りが協力して補い合いながら団体行動や共同作業という一連の流れ体験する行事を単発的に行うというもの。

簡単に言えば「青春」や「温もり」を感じる事ができた子供たちが大人になった時、今度は自分たちが子供たちに「青春」「温もり」を体験させてやりながら、教える方も教えられる方も互いに成長できる、いわば道徳の時間に近いものでもある。

その話や体験を聞いた時に、子どものうちに体験する必要があるのもまた"温もり"なのだろうと僕は感じた。

そういった温もりを感じる体験ができたかできなかったかで、温もりのあるか無いかの大人へと成長して変わっていくのだろうと思う。
まさにそのお話をしてくれた方本人からも温もりを感じた。




<質量・本質を持った温もり>

僕は自分の今までの人生を振り返ってみると、恐らく普通に生きていればほとんどの人間が体験するであろう事を体験できなかった人間です。

常に僕は一人だったが、僕の周りは常に温もりを共有し合う人で溢れていた。
もちろん"合わせよう"と思えば合わせられるが、それは合わせただけに過ぎず、質量や本質のある温もりを体験してこなかった僕にとっては、頑張って合わせないと同じ歩幅で歩けない温もりでもあった。

仮に形として温もりっぽい場にいても"再現的"かつ"表現的"に感じる"仮の"温もりという体験はあったが、本当の温もりではなくそれは人のエゴや綺麗事で塗り固められ構築された温もりというものだけは体験してきた。

だがそこに質量や本質のある温もりは感じられなかった。


常に物事を理論的に考えてしまう僕だけど、

"体験的"してこれたからこそその人から溢れる温もり、と。
"理論的"に考えることで理解ができるだけの温もり

では雲泥の違いがある。

体験してきた人の温もりには本質質量がある。



温もりは全ての原動力

体に温もりを持たずに生きているのだとしたら、それは死にながら生きているようなものだ。
僕は恐らく死に体で生きてきたのだろうと思う。

物事を理解し、温もりのある"風"な佇まいが出来ていても、そこに質量や力はない。
あっても孤独な空間である。

星の外である宇宙空間というものは非常に冷たい空間で、星の無い空白部分には"孤独"が漂っている。
そこはまるで"無"である。

しかし地球のように暖かい空間には沢山の新たな命が生まれ、支え合う存在がある場所には"愛情" "友情" "その他何か"などが溢れている。
そこには"温もり"がある。

一人でいる人間よりも"大切な存在"がある人間の方が温もりがあるように。
また、今は一人でもその温もりを体験してこれた人間の方が温もりがあるように。

その温もりを人と共有したりわけあうからこそ人は生きていけるのだなと。
その温もりを持っているからこそエネルギーに満ち溢れ、何かを成し遂げる事ができるのだろうなと。

 

温もりは全ての原動力なんだな、と感じた。

 



<生まれて初めて感じた温もり>

ラディフェス終了後、片付けの後にとある一人の優しい人の「お疲れ様」の一言で生まれて初めての温もりを体験し、その瞬間に以上までここに書いた一通りの事を一瞬で悟った僕です。

その時、

「あぁ、生まれて初めての体験だ…」

「温もりっていいな」

「この温もりを他のみんなは沢山体験してるのだろうか」

「この温もりを一生感じていたい」

 

とも思えた瞬間でもあった。

同時に「そりゃ温もりを体験できる人は元気もでるしエネルギーにも満ち溢れるし、何でもやれちゃうパワーが溢れるのも理解できる」とも思った。

何といいますか、孤独な人間よりも大切な人がいる人間の方が仕事も頑張れるだろうし、頑張れる理由というものを背に背負える。

そして大切な人の元で温もりを感じることで疲労やストレスがリセットされるのだろうな。
という羨ましい気持ちを肌で感じた瞬間でした。




<"核"は活発な動きをしている>

今回ラディフェスを企画し主催してくれた菜月さんこと

 

なっちゃん←※超重要人物

 

 

彼女の口から出る言葉は常に前向きで夢がありビジョンがあり、そんな活発的な発想から発せられる言葉の一つ一つには温もりと熱に満ち溢れている。

地球でいうところの"核"のような人である。

星の核というものは見えない所で静かに燃え滾ってるようにイメージするが、人が思っているよりも何百倍、何千倍も活発的に動いていて、そのおかげで星が生き生きと活動し、回転し、新たな命や温もりを生み出し、再生し、思い出を発生させる。

そういう意味で全ての核心で動いていたなっちゃん及び実行委員さま各位の動きによって✨大成功✨したフェスだったように思う。

フェス進行中の中で、協力し合って色々なハプニングを乗り越えながら色々な人と共有できた温もりは格別なものだった。

今回のような温もりを僕は今後もまたいっぱい体験したい。
前日準備から含めてそう思えた2日間でした。


おちまい☆