高齢者インフルエンザ接種票がポストに入っていたのが先月末。
記入していそいそと施設に届けに行った。
自宅の母にも届いたそうな。
義母にも。
予防接種というのは、
お子さんが主体だと思っていた。
自分が育った頃、
我が子を育てた頃。
息子の日本脳炎は2回で止まった。
体調が追い付かなかった。
母子手帳見ても、しょっちゅう熱発の、喘息っ子だった。
今は自分の体質を受け入れてはいるが。
私も15歳の風疹接種が出来なかった。
妊婦さんになったらチェックされるもんでしたな。
コロナ前に病院の図書ボランティアをした時(これが最後の本の仕事なのよ)、抗体検査があった。
水疱瘡、はしか、風疹と…何だっけな。
風疹の抗体は出来ていた。
「あの時、自分は打ってなくて」と
ずっと気にしてたけど、
赦された気がした。
15歳から数十年経て、である。
親が歳を嵩ね、
予防接種対象になった時、ピンと来なかった。
まだ私がその年齢に追い付いてないから。
○歳以上は無料なんだと知った。
出来ることはしても
加齢と共に気力体力は
次第におちていく。
今の私ですら、そうなんだ。
世の中と自分が離れていく感覚はあるのだろう。
寂しい事だ。
ずっと堪えて来た人に「頑張れ」と言いたくないとつくづく思う。
私も言われたくないし。
けど…。
父も義父もコロナが流行りだした頃に老衰で亡くなった。
自然にみまかる、だった。
はや、晩秋の趣、急ぐなかれ
まだ今年はふたつきある。
身体を温めよう。
ノビノビしよう。
自分に出来る事をして心身を労ろう。
手を抜こう。
甘えよう。
出来ない事が来た時は、丁寧に。
我が家の宮仕え2人も、
自分の自然を大切にして貰いたいものだが、
宮仕えは自分だけじゃないから難しい。
健康とは、と日々思うようになった。
いい歳の嵩ね方だろうか。
それとも…。