『父』
私の父は世間一般に言う 『仕事人間』 である。
常に家庭不在だった。
たまに見かけると威張っていた。
怒鳴っていた。
小学生の頃から、私は父が嫌いだった。
中学生になった頃には、 『嫌い』 を通り越して恨んでいた。
高校生になると、彼の存在自体を 『ないもの』 として扱っていた。
大学生になった時点で学費を含めた経済面・精神面での援助は一切受けなかった。
そんな私に転機が訪れた。
それは私が社会人になった時のことである。
就職してまもなく、会社が嫌になった。
仕事が嫌になった。
労働する、ということ自体が嫌になった。
ヤングエリートを目指し、そのスタートラインには立てた。
しかし、こんなにも厳しい世界だったとは、と。
そんなある日、父に話しかけた。
私 『よく今までずーっと同じ会社で働き続けてきたね。』
父 『うーん・・・。』
私 『!?』
父 『まぁ、オレの場合、家族がいたからなぁ・・・。(だから簡単に辞めるわけにはいかなかった)』
自分の甘さを嫌というほど思い知らされた言葉だった。
たった数ヶ月で働きたくないと思うに至った自分。
いつでも歯を食いしばって30年以上モーレツに働き続けた父。
そもそも言葉の重みが違う。
彼は商業高校を卒業する前?後?に公認会計士の資格を取った。
『大学?会計士に受かったし、行く必要がなかったんだよ。』
と言うが、本当は何か事情があったのだと思う。
私が幼少の頃から中学生の頃まで常々言っていた。
『お前とおねえちゃんは絶対に大学に行かせてやる。だから絶対に行け。』
『野球推薦?ふざけるな。勉強をやらないのなら野球は一切やらせない。』
資格取得後、彼は監査法人には入社せず、某準大手証券会社に入社する。
『出世するにはこれが一番』、 と十数年連続で社長賞を獲得したその営業成績でのし上がった。
『これは父のホラ吹きだ』と確信していたが、就職活動時に思い切って面接官に聞いてみた。
『実は私の父は○○○▲▲です。彼が十数年連続で社長賞を獲って一気に出世街道を駆け上がった、というのは本当ですか?』
即答で 『本当です。』との事だった。
人事部の方にそう言われた。
当時の社内記録だったらしい。
面接には1次で落ちた。
たぶん、専務だった父の陰謀だろう・・・と解していたが、否、間違いなく父の愛情だったのだろう。
姉はもちろん?
専務の娘として過剰なまでに注目される、そんな苦しいOL生活を送っていた。
現在の彼は起業し、社員約400名の生活を預かる立場にある。
当時、ビジネスマンとして成功するということは本当に厳しいんだな、と漠然と感じた。
そして、ようやく気がついた。
ビジネスマンとしての彼は、私からすればまさに雲の上の人なのだ。
私の十数年のキャリアなど、風が吹けばもろく崩れる、その程度のものだ。
彼のキャリアは違う。
風が吹こうが、雨が降ろうが、びくともしない。
それから。
自分が結婚したとき。
転職したとき。
子供を授かったとき。
昇進した&左遷されたとき。
人生の節目を迎える度に、いつも父の偉大さを思い知らされる。
母いわく、『あんなにお父さんの事嫌いだったのに、結局は同じ道を進んでいるのね。』
いつも朝早くから夜遅くまで必死に働いている。
愛する妻ともっとたくさん時間を共有したい。
子供と一緒に風呂に入りたい。
もりのくまさんを輪唱したい♪
普通の父親として有する感情を必死に抑えて、ただひたすら働いている。
これが正しいことかどうかは分からない。
でも、ひとつだけ、はっきり言えることがある。
はっきり言えると信じたいことがある。
それは、当時の父親の気持ちについてである。
父も当時は私と同じ気持ちだったのだろう。
『おじいちゃま』 として3人の孫に囲まれた姿を見て感じた。
孫たちに向けた、彼の優しすぎる眼差しの奥に、 『父親』 として果たせなかった思いと失った時間を今、孫たちを相手に取り戻そうとしているのかな、と・・・。
そう思うと、生意気な自分の言動、過去のいろいろな想い、出来事が走馬灯のように・・・。
『お父さん、ごめんなさい。』
涙が止まらなかった。
こういう気持ちって、妻や家族に素直に言えないんです。
だから・・・。
池の鯉に向かって謝りました。