九 茶瘕酔言

 

 文化四年、秋成七十四歳の秋である。「天地玄黄」と書した二曲一隻の屏風を前に、いつものように腕を組んで秋成が坐している。秋成の右手に栲亭、正面に呉春、左手に唯心尼が坐っている。唯心尼と秋成のあいだに鉄瓶の乗った風炉が置かれている。八畳一間の西面の壁には竹籠がぶら下げてあり、その中には秋成の書き溜めた草稿が入っている。そして、その竹籠の後ろの壁面には、東西の物語、和漢の歌など、さまざまに書き散らされた紙が張り付けてある。四人は、早朝からこの鶉居にいて、煎茶に興じているのである。

 

  ありてしも春の木のめをつみて烹て心は秋の水とこそすめ

  うは氷春をとちむるたに水をぬるめりといひてけさは汲なん

  暁にいつも水沸らせて烹るちやをけさは春の初花

  濁じと世はのがれねどたに水に茶を烹て心すますばかりぞ

 

 秋成が、自作のこの和歌に目をやって、微笑した。

「面白い話がある。細川三斎公が京の吉田の岡におられたころだ。天王寺屋の宗久という者がいて、暁の茶を奉りたいと申し出たそうだ。そこで、利休が前日の夜から吉田の岡を訪問し、深夜を過ぎたころ、そろそろ茶室に向かいましょうか、と三斎公を誘うと、こんなに早く伺っては宗久も慌てよう、と躊躇されたそうだ。宗久は老功の者にて、いつ出向かれても用意は整っているはず、と利休は答え、三斎公を案内する。外に出ると、門は開かれ、露地には水がうってあり、燈籠の石はあかあかと燈してある。茶室に入ると、すでに亭主の宗久が待っていて、二人が入ると、まず薄めの茶を差し出す。午前三時を過ぎたころ、亭主の後ろの障子を誰かが叩く。何だ、と亭主が言うと、水が参りました、と答えがある。よし、と亭主は言って、釜の茶を受け取った、ということじゃ」

「ほう、そこまでやりましたか。さすが、利休とともに茶湯の天下三宗匠と言われた宗久だけのことはありますな」

「翁、やはり、水は大事なのでございますか」

「点茶は味が濃いから、さほど気にすることはないが、煎茶は水が命じゃ。京師は水の福地じゃから、儂も難波には戻る気はとうになくなっておるわ」

「京は茶葉もよろしいですからな」

「老舗の小山屋が言っておった。煎茶は信楽を最上とする。納所、富川、桶井、野尻、浅宮の五つの村で栽培しておるが、桶井、野尻が本処らしい。一森と山吹の名品はこの二つの村から採れたものだ。面白い話があってな、むかし、信楽の茶摘みのときに、茶葉を盗む泥棒を村人が見つけて、里正の家に連れて行ったそうだ。盗人の生業は薬師で、額づいて、ただただ許せ、と泣きわめくだけだったそうだ。よくよく聞くと、本心からではなく、狐の誘いだ、と言う。長は稲荷殿の仕業は怖い、丁重にお返し申そう、と言って、小豆餅と豆腐二十丁を首にかけさせて追い出したそうだ」

「ほう、狐ですか。狐もお茶が好きなのですな」

「そういうことだ。ところで、栲亭殿、近くの園で昇道と春朔に茶を作らせていたのだが、今年いいのが出来たので、おぬしに進呈しよう。帰りに持っていってくれ」

「それはかたじけない」

「昇道と春朔が何と名付けましょうか、と聞くから、禅林(のりのはやし)にしたぞ。南禅と北禅の間で採れたからな」

 そこで、栲亭が墨壺と用紙を取りだし、おもむろに書き出した。

 

  茶性尤好清緑地

  禅林南北碧山横

  山霊不惜精英気

  悉問無腸手裏呈

 

 すると、翁も筆を取って、栲亭の詩の横に歌で和した。

 

  おのがあたり禅の林の園の茶を君試みよ先ずたてまつる

 

 たわいもない応答だが、さすがに、徳川の世になってはいても、京にはまだ雅な風習が残っている。きょうの秋成は饒舌であった。また話し出す。

「栲亭殿の茶の詩で思い出したが、宋の国に蘇東坡という文人が仏印という禅僧に使いを寄越したのだが、この使い、文を持参していない。仏印禅師はおかしいなあと思って、よくよくこの使いを見ると、頭に草をかぶり、木の根っ子に腰かけているではないか。仏印ははたと悟って、茶葉ひと壷を使いの者に渡して帰したそうじゃ」

 栲亭と唯心尼は言葉なく、しばらく秋成の方を見ていたが、突然、呉春が笑いだして言う。

「翁、分かりもうした。茶という文字ですな。茶という字は、木に跨った人の上に草がのっかております」

 栲亭と唯心尼も、あまりのたわいなさに再び言葉をなくした。

「その蘇東坡じゃが、年を取ってからは、一切お茶を口にしなかったそうじゃ。あのお茶好きの蘇東坡さえ、こうなのだから、儂もお茶を控えようと思っておる」

「ええ、翁がお茶をやめられるのですか」

「儂は、今は、茶を飲むよりも、茶を入れる方がよっぽど面白いのじゃ。鉄瓶の水が徐々に沸いてきて、玉を転がすような、さざ波が寄せてくるような、あの心地よい音が聞こえてくるとき、あのときが至福のときだな」

「お茶を入れても、飲む人がいなければ甲斐がないではありませぬか」

「いやいや。まったく飲まぬというのじゃないぞ。悪酔いしないように、三椀までにしておくのじゃ」

「それじゃ、今までと変わらぬではありませぬか」

「そうかのう。ところで、呉春。居然亭はきょうはどうしたのだ」

「居然亭めは商売の方が忙しいようで」

「そうか、しかし、金儲けもそこそこにしておいたがいいぞ。黄金の性は悪なり、銭は善なり、というではないか。黄金はよく人に招かれるものの、その家に災いをもたらすから悪じゃ。銭は利が少ないから、多く積もうとするが、日々散在するから、より家業にはげむ。貧屋に力をもたらすから善じゃ」

「それは、翁の負け惜しみでございます。先日も、居然亭様にご自分の画賛を差し上げて、お代をいただいておられたではないですか」

「そうよのう。隠棲し、清貧を決め込んでも、お金がないと生きていけぬからな。蓮様には苦労ばかりかけておるなあ。そこでじゃ、呉春。実は、きょう、居然亭に渡したい文があったのじゃ。それで、少し生活の足しにしようと思っておる」

「どういう文でござるか」

「これは、栲亭殿と話し合って、『茶瘕酔言』という題にした。昔、京に上ったとき出した『清風瑣言』にいくつか間違いがあって、それを書き直したいと思っておったのじゃ。それに、言い足りないところもあったから、それらを書いてみた。今、机の上に置いておるやつじゃ。居然亭に会ったら渡してもらえぬか」

「それは、それは。あとでじっくり読ましてもらいますが、私の悪口は載っていないでしょうな」

「心配するな、栲亭殿がちゃんと除いてくださったよ」

「ええ、やっぱり書いていたのですか」

「当たり前だ。おぬしの茶には邪念があって、濁りが多いでな」

「翁、お言葉を返すようですが、清いばかりでは汚い世間を生きて行くことはできますまい。少しは濁りが必要ではありませぬか」

「それは、そうじゃ。それはそうじゃが、濁ってばかりでは世の中のことがはっきりとは見えぬではないか。清く澄んだ鏡のような心持ちではないと、世間の汚れも判別できないであろう。おぬしも、まずは食を控えたがよかろう。美食ほど体に悪いものはないぞ」

「翁、再び、お言葉を返すようですが、私みたいな絵師には経験が必要なのでござる。経験がないと、ものの本性を写しだすことができません。おいしい柿があったとしても、その柿を食したことがなければ、その柿のおいしさは表現できません」

「そういうことはない。心を直く澄ましておれば、神が降りてきて、柿のおいしさは見極められるはずじゃ」

 ここで、栲亭が口をはさんで、二人の議論をとめた。

「翁、その冊子、私めが居然亭にお渡しもうそう。居然亭に渡す前に、書き写して、弟子の田能村に贈ろうと思っております。田能村が、その冊子が出来あがるのをたいそう楽しみにしておりましたから」

「おぬしにご足労かけるにはおよばぬ。蓮様が一部書き写しておるから、それを持って帰ったらよかろう」

「それは、それは、かたじけない。それは、そうと、翁がお茶を始められるきっかけは難波の蒹葭堂様でござりましたな」

「そうかもしれん。木村孔恭には、ずいぶんお世話になった。文雅で名声をはせておったが、諸国の産物を集めるのが趣味で、煎茶にも詳しかった。しかし、ほうぼうから人がやってくるものだから、もてなすことに忙しく、茶味の嗜好、器の選択、煎法の技など疎かになって、高遊外や大枝流芳の風流までには至らずに終わってしまった」

 

 秋成には、安永三年、四十一歳のときに書いた『あしかびのことば』というのがある。これは、当時、医者として生業を立てていた秋成が、蒹葭堂を何度か訪問するうちに、訪問の記録を書いて蒹葭堂に見せたところ、蒹葭堂がそれを欲しがったので、書き写して蒹葭堂に与えたものである。

 秋成は蒹葭堂よりわずか二歳の年長で、意通じ合うものがあったのであろう。『あしかびのことば』の冒頭はこんな風に始まる。

 

 最近、たまたま暇なときに木村の主のお宅を訪問した。主人はいつものように心からのおもてなしで、お茶やお菓子などを勧められる。大変高級なものばかりで、中国のお菓子は詳しい伝聞に基づいて、自ら作られたものであり、お茶は滝井とかいって、西湖のながめから名前を取った有名な品で、文人たちの思いこがれるもので、陸桑苧の編纂した書物にも見られる。その香りと味わいを、今日、試飲できるのである・・・

 

 茶菓の接待が済むと、蒹葭堂は最近入手した和漢の珍書・奇書を次々と蔵から出して見せてくれる。秋成は垂涎・狂喜したはずだ。それから、珍しい貝類や蝶類の標本を見せてもらったあと、いよいよ秋成の訪問の主目的である薬草の話になる。

 蒹葭堂は医薬の専門家ではないが、幼少から本草には興味があり、中国や日本の植物の異同を文献で研究しているだけでなく、自ら薬草園を営んで実物の観察もしている。ほかに客もおらず、秋成はゆっくり本草学の蘊蓄を聞くことができたのである。そうして、心を許した蒹葭堂が自分の生い立ちを語り始めた。その内容が『あしかびのことば』の本文に書かれているものだ。

 秋成にとっては、蒹葭堂は一生を通じて変わらぬ良友であったが、『茶瑕酔言』でも、すべてに二流で終わった蒹葭堂について、残念がっている。すべてに一流な人はいない。すべてを極めようと思ったら、すべてに二流にならざるを得ないのだから、それはそれでいいのだろう。

 ところで、煎茶では法式も重要だ。『清風瑣言』には「湯は甘泉清流を撰び、法を以て煮るべし」とある。また、「唐宋の茶書を按ずるに、本は烹点二製の分なく、或いは烹、或いは点じて玩びしものとこそ思ゆれ」と語り、煎茶、点茶に区別を設けていないが、「点するに賢たり、煎するは聖たり」とする序文を書いた栲亭に賛意を示し、『煎茶之記』でも「茶は煎を貴とす。点は次也」と述べ、煎茶に軍配を上げている。

 また、煎茶自体にも、煎茶法と淹茶法の違いがある。沸騰した湯に茶葉を投じるのが煎茶法、茶葉に湯を投じるのが淹茶法である。一般の煎茶、番茶は煎茶法で、上級煎茶や玉露茶では淹茶法でいれるのが一般であるらしい。しかし、今は、番茶も玉露も淹茶法が主流である。秋成の書には「烹る」という言葉が頻繁に出てくるから、秋成のころは煎茶法が主流だったのだろう。

 秋成は、法式の必要性を述べてはいるが、あまりに法式に縛られることを良しとはしない。法式修得後は無法に帰り、その上で臨機応変にふるまうことを求めている。『遠馳延五登(おしゑごと)』では、「始より法なくては、道々のしるべたどたどしければ、先ず法に入りて、是を心におきて後、ふたたび局外に出でてこそ、万のわざはまめまめしからぬ」と述べている。

 秋成は、この四人が煎茶に興じた翌年、七十五歳のとき、茶神の物語『背振翁伝』を書いている。その中で、背振山の小さな庵に住む茶神の翁が作者にお茶をいれる印象的なシーンがあるので、以下に記す。

 

 立ち入りて見れば、土のうへに山菅の蓆二枚敷きのべ、茶竈一つ築きたる外には物も見えず。翁小柴折りくべくゆらす、瓦の釜やがて浪を躍らせたり。木の皮曲げたる器より茶一つみとう出て投げ入れ、よしと独言して、さきの白きに汲みて与ふ。色よりして香も味はひも、つひに試みぬには又三盌を尽す・・・