【インタビュー一】
鬼塚世津子(五十八歳女性)、地震火山研究所の所長
二〇一四年十月二十五日昼、地震火山研究所にて取材
――今回の御嶽山噴火についてどう思われますか。
「『どう』というとどういうことかしら。予知できなかったのか、ということ。それとも犠牲者を最小限に食い止める方策はなかったかどうか、ということ。それとも、今後の・・・」
――そうですね。まず、噴火予知についてご意見を聞かせてもらえませんか。
「火山性地震が二週間ほど前から頻発していたので、そのとき警戒レベルを三にあげておけば犠牲者は出なかったと考えられますけど、それは無理だわ。この程度の火山性地震はどの活火山でもよく観測されているし、それが噴火に結びつかないことも多いし、今回は三十五年前に初めて噴火したときの状況ともまったく違っているのよ。御嶽山はあまりにデータがなさすぎるわ」
――三十五年前の噴火では前兆現象があったのですか。
「少なくとも、気象庁や大学の研究機関の人たちにとっては寝耳に水だったわね。だって、そのときまで死火山同様に考えられていたのだから。リアルタイムの火山観測網はゼロよ。気象庁の御嶽山の監視は山麓から七〇キロも離れた松本測候所の担当で、地震計の監視もしていないし、もちろん御嶽山の山頂なんて見えやしないわ。監視用の地震計や望遠カメラを設置したのはそのときの噴火のあとよ。この噴火のとき、気象庁の方は地元の営林署や山小屋関係者の通報で初めて知ったのよ。気象庁が臨時の火山観測隊を立ち上げ、地震計を現地に設置したのも一日以上たってからよ。ただ、名古屋大学が御嶽山周辺に四カ所地震計を設置していたので、これらのデータから、噴火までの地震の状況はあとから分ったのだけど、リアルタイムデータじゃないから噴火予知には役立っていないわ。
噴煙が麓の村で最初に観測されたのが朝の七時ごろなんだけど、名古屋大学の地震計によると、噴火当日の深夜から山頂直下で一時間に二、三回ほど小さな地震が観測されているの。そして、五時二十分に、それまでの断続的な地震から途絶えることのない連続的な揺れに変わったので、このとき噴火が始まったのじゃないかと考えられているわ。断続的な地震は明らかに噴火の先行現象なんだけど、もしこのデータを当時リアルタイムで見ていたとしても、噴火が近いと判断はできたかというと、難しいわね。火山にはそれぞれ噴火の癖があって、前兆の地震があると必ず噴火する山もあるし、前兆の地震があっても噴火しないこともあるし、なんといっても御嶽山の噴火はこのときが有史以来初めてだから、癖なんて誰も知らないし、無理だったと思うわ。
実は、噴火の三年前に麓の牧尾ダムで震度二から三程度の有感地震が頻発していたの。それで名古屋大学がこの地震を観測するために付近に地震計を設置したのよ。結局はそれが御嶽山の噴火の観測に役立ったのだけど。この群発地震が御嶽山の噴火の前兆現象だった可能性は十分あるわ。だけど、御嶽山って、噴気は上げているけれど、噴火したという記録は残っていないのだから、まさかこの群発地震が御嶽山の噴火活動と関連しているとは誰も思っていなかったのよ。それよりは、ダムができると地震活動が活発化するという報告もあったくらいだから、地震と御嶽山じゃなくて、地震とダム湖との関係の方にみなさん興味があったみたいよ」
――今回の噴火の前に火山に結びつく地震は観測されていたのですか。
「気象庁の観測によると、九月十日の昼ごろから山頂付近を震源とする火山性の地震が増え始め、この日だけで五十二回、翌日も八五回を観測したので、十一日に火山解説情報を発表して山頂付近で火山灰が噴出する可能性があるとして警戒を呼び掛けたぐらいだから、火山に結びつく地震が観測されていたのは確かよ。しかし、これがそのまま噴火に結びつくかは判断が難しいところね。その後、徐々に地震の回数は減って、噴火の起きた二十七日に再び増えたのだけど、気象庁が情報を出す前に噴火が起きてしまったってとこね。噴火の十分ほど前に火山性微動が発生しているけど、このときは気象庁の方たちも噴火するかもしれないと思ったのじゃないかしら。しかし、そのおよそ十分後には噴火したわけだから、噴火警報を作成して厳重警戒を呼び掛けるには時間がなさすぎるわね」
――先生、「火山性微動」って、どんな揺れなのですか。
「地震計のデータを見ていると、すぐに分かるの。火山性地震は、断続的に比較的振幅の大きな揺れが短時間つづいて終わるという明確なパターンが繰り返されるけど、火山性微動では、振幅の小さな揺れが連続的してしばらく続くの。いつ終わったのかも分かりにくいタイプよ。数十秒から数分、ときには何時間も続くわ。火山性地震の場合は、地下でなんらかの破壊現象が起きて発生するけど、火山性微動の方は、地下のマグマやガス、熱水などが火道を移動するときの振動が原因と考えられているから、いつ噴火が起きてもおかしくない状況よね」
――「火山性微動」が始まると火山はすぐに噴火するのですか。
「火山によりけりね。しょっちゅう火山性微動が起きているのに噴火しない火山もあるし、その微動が止まってから噴火するという火山もあるのよ。御嶽山の場合、三十五年前も今回も、火山性微動の発生後すぐに噴火しているから、微動と噴火は直結しているみたいだけど、微動発生から噴火までの時間が短すぎるから警報を出すための資料にはなりにくいわね」
――地震の前にナマズが暴れるとよく言われますが、噴火と動物の関係とかはなかったのですか。
「前回の噴火の前に、クマザサに数十年に一度といわれる結実の現象が見られたとか、ミミズの養殖場で普段地中にいるミミズが噴火の前日地表にはい出していたということだけど、噴火活動と関係あるかもしれないわね。動物や植物は人間と違って、臭覚や聴覚、触覚など非常に発達しているから、火山活動によって漏れ出るガスや温度の小さな変動をキャッチして防衛行動をとることは十分考えられるわね。しかし、それを科学的に実証して噴火予知に利用することは結構厄介で、あまり研究対象となっていないの。ミミズを飼って毎日観察して、もし地表に現れてきたときに噴火の可能性を発表できるかというと、とんでもないわ。ミミズって、雨が降った後も地表に出てくるのよ。クマザサの実だって、これまで数十年に一回は結実してきて、そのたびに噴火が起きているわけではないから、結実したからといって噴火情報を出すなんて言語道断ね。しかし、普段あまり見かけないタヌキやクマやサルがたくさん麓に下りてきたら要注意かもしれないわね」
――今回の噴火で、何か前兆現象があったという報告はなされていませんか。
「いろいろ耳には入って来るわ。いつもより硫黄の臭いがきつかったとか、秋にしては腰かけたときに感じた岩の温度が温かかったとか、サルを麓で見つけたとか。しかし、みんな噴火の後から教えてくれたことばかりで、噴火前に私に教えてくれた人は誰もいないわよ」
――今回の噴火はいつ終息するのでしょうか。
「それは、とっても難しい質問ね。地震の場合は、最初の地震が一番大きくて、その後に続く余震は最初のものほど大きくはないのが普通だけど、火山の場合は、最初の噴火の後にもっと大きな噴火が起きたり、噴火の回数も一回で終わるのもあるし、何回も繰り返すのもあるし、数十年も継続するケースもあって、終息を予測するのは噴火を予測するのと同じくらい難しいわ。前回の御嶽山噴火では、噴火後一年以上小さい噴火が続いて徐々に終息し、二年後にやっと山への立ち入りが解除されたぐらいだから、今回の場合も一、二年は注意した方がいいと思うわ」
――次の噴火はいつごろ起きそうですか。
「とんでもないことを聞かれるのね。私は予言者じゃなくて科学者だからいつごろかなんて言えないわ。はっきりしているのは、数十年後か、数百年後か、数千年後か知らないけれど、ほぼ確実に噴火するわ。過去数万年に何回も噴火しているし、御嶽山の地下数十メートルにはマグマ溜まりがあることは分っているのよ。しかし、私はそんなに遠い未来ではないと思っているわ。マグマ溜まりの上の地下水の層はそんなに大きくなさそうだし、すぐに満杯になり、徐々に加圧されてくると、また水蒸気爆発を起こす可能性は十分あると思うの。マグマの活動がもっと活発になれば、マグマ水蒸気爆発になることも考えられるわ。とにかく、モニタリングを続けていくことが大事ね」
――あれ、先生の机の上の写真に若い女性が写っていますが、これは先生ですか。
「そうよ。私の若いころ。アメリカのバンクーバーで撮ったの。カナダのバンクーバーでなくて、アメリカのワシントン州にあるバンクーバーよ。真ん中の人がワシントン大学の火山学者、ヨーゼフ博士で、その左隣の青年が近藤洋一郎君。私の同僚だった人。二人とも、この写真を撮った五日後に死んじゃったわ。一九八〇年のセントへレンズ噴火のことご存じ? 私と近藤君は大学院の同じ研究科の学生で、二人でワシントン大学に研修を兼ねて噴火観測のお手伝いに行っていたの。五月十八日よ。私は地震計設置のためにセントへレンズ山の東側の麓に出かけ、彼らは二人で山頂の北方にある丘の上に行ったの。山頂の様子が正面から見えて、観察には絶好の場所だったの。彼らが現地の観測小屋で一泊した翌朝だったわ。マグニチュード五の地震が突然起きて、それが引き金となって噴火を開始した直後、山の北斜面が崩壊したの。そのとき発生したブラースト(噴火による爆風のこと)で観察小屋とも吹っ飛ばされたわ。いまだに行方不明よ。近藤君は私の姉さんのダンナだったのよ。ところで、記事にしないと約束してくれたら面白い話をしてあげるわ」
――え。どんな話ですか。興味ありますね。約束しますので教えてください。
「実は、私、今回の噴火が起こることを知っていたの。知っていたのだけれど、それは噴火が起こってから気づいたから、どうしようもなかったのよ。近藤君はね、三十五年前の御嶽山噴火のときに八丁ダルミに登っているの。そのときに三十五年後に噴火で亡くなった人に会ったというのよ。その話が実に生々しくて、面白いの。全部話し終って、『これ冗談だよ』って彼は言ったのよ。彼はひょうきんなところがあったから、してやられたと思ったけど、妙に現実味があったから、しばらくは頭から離れなかったわ。それでもじきに忘れてしまっていたの。そして今度の噴火でしょう。八丁ダルミで女医さんが亡くなられたでしょう。近藤君はそのときその女医さんに会っているのよ」
――本当ですか。もっと詳しく教えていただけませんか。
「それじゃ、これから生協で昼を食べるから付き合いませんか。そこでゆっくりお話しするわ。録音装置も手帳もなしね」
――いいですよ。
(生協の食堂で)
――私も学生時代この食堂でよく食事をしました。結構おいしいですよね。
「そうでしょう、ここのメニューは日替わりで一品しかないからどれを食べようか迷うこともないし、毎日違ったメニューだから家で食事するような感じで、ありがたいのよ」
――それでは、お聞かせください。
「一九七九年十月二十八日の最初の御嶽山噴火のとき、私たちはこの大学の理学研究科の同じ研究室にいたの。地質学教室で、彼が火山岩、私が火山ガスの研究をしていたのよ。私たちは修士の二年目で、彼はどういうわけか私よりも三つ年上だったけどね。その二年前、学部の四年生のとき、有珠山が噴火して、私たちは北海道大学に派遣されていたの。地震計設置や監視の手伝いをしながら、目の当たりに有珠山が噴火するのを見て、興奮したのを覚えているわ。私も近藤君も、そのときから火山のとりこになったわね」
――二○○○年の有珠山噴火のことははっきり覚えています。火山の噴火予知って出来るんだと、とても感心したのを覚えています。その、一九七七年ですかね、そのときの噴火もうまく予知できたのですか。
「そうなのよ。先生方が、有珠山って、こういうときにはこういう風になっていくんだと、噴火が起こる前から、地震データのこと、火山ガスのこと、山体変形のことなど、あたかも昔の出来事みたいに話されるのには圧倒されたわ」
――そうですか。
「私たち、そのとき、本当の生の地震計のデータの見方を習得できたと思うわ。それで、こちらに帰ってから、御嶽山に設置してある地震計のデータを調べなおしたわけ。御嶽山を取り囲むように名古屋大学が四カ所、うちが一カ所地震計を設置していて、月に一回、記録紙を交換していたのだけど、五カ所のデータとも私たちの大学で一旦回収してから名古屋大学に送付していたの。そのころ、実は変な揺れが観測されていたのね。しかも震源を計算すると御嶽山直下の浅いところなの。これが噴火のせいなのか、近くのダム湖のせいなのか、プレートの変動に伴うものなのか、まだまだ微妙だっただけど、近藤君と私は、火山噴火の前兆だと確信していたわ。ただし、実際に噴火まで至るのかどうかをまだはっきり言える自信はなかったけど。どちらかというと、二人とも否定的だったわ。だって、有史以来一度も噴火していない火山で、限りなく死火山に近い山だったからね、当時は。しかし、十月二十八日の朝、ラジオから御嶽山噴火の一報が入ると、近藤君からすぐに電話があって、研究室の四輪借りていくというの。よしなさい、と一応言ったのだけど、まったく無視。行けるところまで行って見てきます、といって電話を切ったわ。おそらく、すぐに研究室に行って、必用な用具をリュックに詰めて出かけて行ったみたいね。私は、午後に研究室に行って、ずっとテレビの報道にくぎ付けになっていたわ」
――そのあと、近藤さんからの連絡はいつあったのですか。
「その日の夜よ。ずいぶん心配したわ。木曽福島駅前で厄介になっているらしく、翌日、そこの人に王滝口の田の原まで行ってもらって車を取ってから帰る、というの。まあ、無事だったのだから、一安心ね」
――そして、翌日に会われたわけですね。
「そうなの、翌日の昼すぎ、研究室の私たちの部屋に入って来たときはびっくりしたわ。まだ、ズボンとかリュックとかが火山灰で真白だったの。キスリング型の黄色いリュックが火山灰で真白になっていたわ。そのリュックから、火山灰や噴石のサンプルの入っている容器や採集道具を取り出したあと、夕方また来る、と言って帰って行ったの」
――そして、夕方会われたわけですね。
「夕方といっても、だいぶ遅かったわ。彼がちょっと飲みながら話しましょうか、と言うので、二人で、大学の近くの居酒屋に行ったの。いつもの奥の個室に入って話を聞いたわ」
――そこで、面白い話を聞かれたわけですね。
「そう、最初は噴火のものすごい状況を聞かされたわ。よく無事で帰れたもの、と感心したけど。その先の話をしてくれたのは、もう二人とも十分食べて飲んだあとよ。彼も私もウーロン茶を頼んで飲み始めたときね。近藤君が、『実は・・・』と言うの。『実は幽霊に会った。未来の幽霊なんだ』と言い始めたの」
――未来の幽霊ですか。
「そうなの。三十五年後の未来から来た幽霊というのよ。近藤君は、二十八日の昼すぎ、王滝山頂から八丁ダルミに下ったときに行者さんに会った、と言うの。この行者さんは幽霊じゃないのだけど、行者さんと話していると、突然火山灰が襲ってきて、息もできなくなったんだって。行者さんが呪文を大声で唱えてくれて、近藤君もそれに唱和していたら、近藤君はいつのまにか気を失っていたらしいわ。誰かに肩を叩かれて目を覚ますと、女の人が立っていたんですって。行者さんは近藤君の横の岩に座ったまま気を失っていて、女の人はその行者さんの前に立っていて、ちょっと首を傾けて、笑いかけたそうよ」
――その女の人が幽霊なのですか。
「そう、その女の人が、自分は三十五年後の未来から来た幽霊だって名乗ったそうよ。『三十五年後に御嶽山が再び噴火して多くの方が亡くなった。あなたには見えないかもしれないけど、周りには火山灰に埋もれて亡くなっている方が大勢いらっしゃる。あなたの横に見えている行者さんは大丈夫。ちょっと意識をなくされているだけ。私も、三十五年後の噴火で噴石にやられてしまったの』と話されたというの。近藤君はあっけにとられたそうよ。それから、その女性は続けるの。『私はあなたの娘で、横に座っていらっしゃる行者さんはあなたのお父様だ』と」
――失礼ですが、その女性が八丁ダルミで亡くなられた女医の近藤由貴さんですか。
「そうらしいわね。そのときは三十五年後のことなど、遠い遠い先のことだと思っていたから、聞き流していたけど、今回の噴火後の報道が、近藤君が最初の噴火の後で話してくれたことと、いろいろ一致するからビックリしているのよ」
――で、そのとき近藤由貴さんはほかに何かおっしゃらなかったのですか。お父さんの今後のこととか。
「由貴さんはね、『ヒスイの首飾りを受け取ってほしい』と言って、首にかけていたネックレスを外して近藤君に差し出したそうよ。近藤君が何か聞こうとしたら、『ネックレスをあなたの恋人にプレゼントしてね』と言って、首を横に傾けて笑ったんだって。そのとき、再び噴火が激しくなり、大量の火山灰が襲ってきて、真っ暗になって、息苦しくなったそうよ。近藤君、幽霊に連れられて冥土へ行くんだと覚悟したらしいけど、しばらくしたら噴火も収まり、周りも明るくなってきのね。横を見たら、行者さんが前と同じように意識を失ったまま座っておられたから、肩を揺り動かして起こし、すぐに、黒沢口の方に下山したというの」
――近藤さんは、その行者さんが自分のお父さんかどうか確かめられたのですか。
「もちろん。二人は、行者さんが経営している木曽福島駅前の鍼灸院に着いて、近藤君はとりあえず、そこで一泊することになったの。その夕食のとき、行者さんとゆっくりお話したそうよ。行者さんは近藤君を見たときから自分の息子だとピーンと来ていたそうで、近藤君が八丁ダルミであった女の幽霊の話をすると、首を一瞬傾けて、近藤君のお母さんの若いころの話やお母さんが亡くなってからの自分のことなど話されたそうなのだけど、その辺の詳しい話は聞いていないわ。とにかく、幽霊の出現は、近藤君の妄想かもしれないけど、幽霊の話した内容はある程度当たっているかもしれないと、行者さんはおっしゃったそうよ。そこで、近藤君、にやっと笑うの。私が真剣に聞いていたものだから、ちょっと不安になったのね。『これ冗談だよ、ごめん、全部作り話なんだ』と言って、茶化して終わったわ。私も、しばらくだまされたことに気がつかなかったけど、嘘だと分かると、妙に腹が立ってきて、なんとなく場がしらけちゃったわ。それっきり、もう、その話はしなかったから、私も忘れていたのよ」
――不思議な話ですね。近藤さんが、作り話だと言わなかったら、鬼塚先生は噴火予知ができたかもしれませんね。
「そうなの。でも、科学者が幽霊の話を信じて噴火予知などしたら、それこそ問題かもしれないわ」
――それも、そうですね。でも行者さんはご存じなのですよね。
「知ってらっしゃると思うわ。しかし、行者さんには行者さんのお考えがあるでしょうから、自分の胸の内にしまわれておられるかもしれませんね」