【体験談二】
横山百合子(四十歳女性)、登山ガイド
二〇一四年九月二十七日夜、三岳交流促進センターにて
私は学生時代ワンダーフォーゲル部に入っていて、日本の各地の山を歩きました。結婚してからも趣味で週末には夫を家に残して一人で山旅を楽しんでいました。三年前に山仲間の一人に誘われて登山ガイドをするようになりました。北アルプス、八ヶ岳、南アルプスなどが多いのですが、今回御嶽山のガイドを頼まれました。御嶽山は学生時代に一度登ったきりなので、下調べのために、予定日のちょうど一週前に当たる九月二十七日に山に入りました。
当日のスケジュールは次の通りです。
08:00 飯森高原駅出発
09:30 八合目女人堂、休憩十分
11:10 九合目覚明堂、休憩十分
12:00 剣ヶ峰頂上、昼食三十分
13:30 二の池本館、休憩二十分
15:00 摩利支天山、休憩十分
16:00 五の池小屋、宿泊
参加者は四十代から六十代の女性だけの十六人グループで、少し余裕をもたせたスケジュールにしました。九月二十七日、スケジュール通り朝八時に飯森高原駅を出発しました。晴天に恵まれ、絶好の登山日和でした。当日もこれくらい晴れればいいのにと思いながら登りました。途中休憩も取らずに登ったので、予定よりも一時間も早く、十一時前には剣ヶ峰頂上に着きました。途中の登山道は、紅葉と土曜日と晴天という好条件が重なったせいか、多くの登山客で大混雑していました。
参加者の体力に余力があれば、八丁ダルミ経由で頂上を目指すことも考えていたので、軽く食事を取ってから、八丁ダルミの方に下りました。少し霧がかかっていましたが、風によって形を変えながら流れていたので、ときどき南斜面の噴気の白い煙がはっきり見えることもありました。まごころの塔は建立当初は美しい黄金色だったそうですが、硫黄の酸化作用で変色し、学生時代よりかなり黒ずんでいました。大御神火祭斎場の神像群に当日の登山の安全をお祈りして、十一時三十分ごろには剣ヶ峰山頂に戻っていました。
頂上には登山者が百人近くはいたと思います。狭い山頂で、足の踏み場もないくらいでした。私は社務所の脇を通り、西に出て、お鉢巡りのルートの方を下り始めました。ガレ場を通って岩場にとりついたとき、突然、背後でドドーンと鈍い音がしました。すると、頂上から下りてきていた男性が、「噴火じゃないか」と声をあげました。振り返ると、二つ、三つと、灰色がかった雲のような塊がもくもくと上昇していました。噴石も飛んでいました。とっさに、逃げよう、と思いました。登山道を少し下ったところに大きな岩があったので、すぐにそこの背後に駆け込みました。
すると、濃いガスが立ち込めてきました。硫化水素の臭いです。吸い込んだら命が危ないと思って、呼吸を我慢したのですが長く続きません。息ができない、もうダメだ。そう思った瞬間、スーと息ができるようになりました。視界も開けてきました。風向きが変わったのかもしれません。しかし、すぐに噴石が落ちてきました。見上げると、数センチから大きいものは一メートルくらいの冷蔵庫みたいな岩のかたまりも飛んでいました。そして、火山灰が押し寄せてきて真っ暗になりました。私はザックを頭にかぶり、身をかがめて岩にぴったりくっつき、タオルを口に着けて息をしました。タオルは二重三重にしました。そうでないと、火山灰が口の中に入り込むからです。噴石が岩にぶつかって砕ける音が聞こえました。大きな噴石の直撃を受けたら助からないと思いました。ものの焦げる臭いもします。呼吸も苦しくなります。口の中は火山灰でジャリジャリになってしまいました。
しばらくすると、一瞬冷たい空気が入り、空も明るくなってきました。しかし、それもつかの間、二回目の大きな噴火が起きました。再びあたりが真っ暗になりました。「お母さん、たすけて」と心の中で叫びました。助かったらあれをしよう、これもしよう、といろいろなことが頭の中を駆け巡りました。
結局、その岩陰に三十分以上じっとしていました。降り積もった小石と火山灰で下半身の方はかえって噴石の直撃を避けられたようです。何とも不気味な現実感のない世界でした。
そのとき、稲光がして雷が鳴りだしました。そして、雨がパラパラ降ってきました。視界も開けました。岩陰から稜線の方を見ると、人影がまったくありません。稜線には火山灰が積もっていて、真っ黒で、地獄のようでした。稜線にいた人たちの安否が気になりました。八丁ダルミの稜線には噴石をよける避難場所はまったくありません。あの噴石から逃れることは無理だったのではないか、私は運よく岩陰に隠れることができてよかった、など考えていました。
このまま救助を待とうか、自力で下山しようか、あれこれ考えていましたが、意を決して逃げ出すことにしました。登山道へは戻らず、火山灰に覆われた斜面を一気に二の池の方へ駆け下りました。必死で駆け下りたので、おそらく十分ちょっとで二の池の小屋にたどり着いたと思います。小屋の中をのぞくと誰もいませんでした。みんな避難したのだと思います。噴火口からかなり離れているのに、ここも十センチほど火山灰が積もっていました。取りあえず、きょう宿泊予定にしていた五の池小屋まで行ってみることにしました。
途中、魔利支天乗越を歩いている十名くらいの登山者を見かけました。これで自分も助かるんじゃないかという実感がしてきました。五の池小屋に到着したのは三時ごろだったと思います。小屋には数名ほどが避難していていました。腕をケガしている人や頭から血を流している人、恐怖でうずくまっている人もいました。警察の方がおられたので、声をかけると、一時間前は五十名ほどいたが、動ける人はみんな下山してもらったということでした。
そのとき、賽の河原の避難小屋から連絡が入り、小屋にけが人がいるから応援が欲しいとのことでした。私は躊躇しましたが、やはり応援に駆けつけることにしました。警察の方と歩きながら、山頂付近の様子をお話ししたのですが、助けを求めている人が何人いるのか、ケガの状況はどの程度か、意識のない人もいるのかなど、具体的な様子は分からないので話せなかったのですが、非常に悲惨な状況であることだけは伝えました。
ケガ人は二人で、腕を骨折されている方は自力で歩けましたが、鎖骨付近を抑えて苦しそうにされている方は自力では歩けず、警察の方と男性の登山者が交代で背負って行くことになりました。五の池小屋へ向かっていると、警察の方に無線で連絡が入り、二の池方面に登山者がいるとのことで、私は警察の方と二の池へ引き返しました。
二の池の小屋に着くと、七人くらいの登山者が全員憔悴し切った表情で座っておられました。皆どこかをケガされているようでした。すると、覚明堂の方から山小屋のスタッフの方が来られ、女の子を休ませているとのことでしたので、私はそちらの方に様子を見に行くことにしました。その小屋には、女の子が一人寝ていて、すっかり熟睡しているようでした。何か夢を見ているようで、ときどき、「ワー」とか声を出して寝言を言っておりました。
しばらく休んでいると、外から男性の登山者の方が入って来られました。足に大ケガをされていて、倒れ込むように入って来られました。「大丈夫ですか」と声をかけると、「大丈夫ではないです。私はどうにかここまでたどり着きましたが、八丁ダルミに仲間が取り残されています」とおっしゃいました。私の想像していたとおり、八丁ダルミでは相当な被害が出ているようでした。その人に女の子を頼んで、私は予定を変更して黒沢口の方へ下山することにしました。山頂付近の被害の状況を早く麓に知らせたいと思ったのと、その日のうちに下山した方がいいと判断したためです。
空にはヘリコプターが飛んでいました。火山灰は降った雨のおかげでぬかるんでいて、歩くたびに靴にくっついて大変でした。しばらく火山灰と悪戦苦闘しているうちに、あたりはだいぶ明るくなってきて、剣ヶ峰と王滝山頂の間の稜線からいくつもの噴煙が上がっているのを見ることができました。すると、噴煙の靄の中で、八丁ダルミの方から下って来る人影が見えました。二人います。白衣の行者風の人と土色の幅広のキスリングを背負った男性です。二人ともしっかりした足取りでした。
覚明堂から少し下ったとき、山道の横に二羽の雷鳥を発見しました。つがいです。雷鳥は夫婦仲がいい鳥だと聞いています。これで助かったのだと確信しました。飯森高原駅に着いてからは、ロープ―ウェイが動いていないため、横の登山道を下りました。六時ごろ鹿の瀬のロープ―ウェイ発着所に着きました。あたりはすっかり暗くなっていましたが、駐車場に置かれている車の上には火山灰が積もっていました。こんな遠くまで火山灰が飛んできたのかと驚きました。
どうして私が助かったのか不思議です。山の上で岩に隠れてじっとしていたときは、絶対生きてやる、と思っていましたが、その反面、心の中ではあきらめていたように思います。あの噴石のすさまじさを見たら、誰でも生きて帰れるなって信じることはできないと思います。自然の力って、桁違いでした。人間が、ああしよう、こうしようと思ったとしても、自然の猛威の前では虫けら同然です。どうあがいてもどうにもなりません。冷蔵庫みたいな石が直撃したらヘルメットなんて役に立ちません。私は、偶然の女神に助けられたのだと思います。