彼岸の中日(春分の日)亡き父母の夢を見た
テーマ:我が家の事情・出来事
帰郷したある日、背中がくの字に曲がった母を見て負ぶって歩いた時、
その余りにもも軽い体重に吃驚仰天した。
父はそれなりに収入は有った筈だが、8人の子持ちで未婚の叔母を含め
11人の口を満たすには十二分とは言えなかったようだ。
それよりも何よりも、町の役員だった爺様が請け判で負った膨大な借金の返済を敢えて財産放棄をせず返し続けた行いが子供心に
武士の意地として記憶の底にある。
子供に借金は残さぬが父の口癖だった…そしてその通りとなった。
小学1年生の時・・30cmの竹尺の裏に墨で漢文が書かれていた。
不惜身命 担任の先生がその文字を見て吃驚仰天されていた。
父から意味を聞かされてもその時点では意味など分からず仕舞い・・・。
今はその意味がよく解る。
父葬儀の時、福岡県の歯科医師会の先生方が数十人参加され仰天した。(葬儀の席順は歯科医師会長が決められた)
筆者が葬儀委員長で、亡父の人となりとして、竹尺の話を主にした。
体験談の為よどまず、スラスラと言えた・・・・。
江戸時代半ばに寄せ墓した我が家の家紋は≪丸に三星一文字≫だが、
渡辺ではない・・・言い伝えでは鬼退治で有名な「渡辺の綱」から頂いた
家紋だと聞いて育ったが…菩提寺【甘木の安長寺】は三度戦乱で焼失し
証拠の品など皆無だ…家紋の謂れは信じるしかない。
晴れた彼岸の中日です…日の丸を出し祝う
。
新潟が終の棲家と成り、故郷の臨済宗の菩提寺は墓仕舞いをし
曹洞宗の此方の寺に墓所を作った…放下著。