甘木は汽車と電車の終着駅(発着駅)だった。
線路を利用した肝試しは夏の遊びだった。
線路の下を流れる甘木川を渡る汽車や電車・・・
子供は線路渡りが肝試しだった。
鉄路に耳を当て、汽車や電車の音を聞き分ける・・・・・・。
渡れる距離と餓鬼大将の判断で、線路を渡り始める。
汽車の線路は途中に避難場所が作られていて初心者向け。
電車の線路は超危険・・・渡る途中で電車が近づいたら枕木に掴まり、
川に落下し飛び込む…何処が深いか年長者は知っていた。
有るとき初心者で低学年の外科医の開業医の子供が参加した。
電車が近づき枕木では無く線路に掴まりぶら下がった。
他の子どもは川の中から線路を離せ、下で助けるからと叫んだが、
外科医の子供は離さず、両手の指を切断し落下した。
救急搬送されたが親の外科医は一目見て治療できないと言ったそうだ。
その子がどうなったか知らないが、遊びそのものが禁止と成った。
小学校時代、近くの大刀洗飛行場後に気銃弾などの薬莢拾いが盛ん。
時に不発弾がみつかり、危険と知らず持ち帰り、教室で見せびらかす。
不発弾の薬莢がズボンの中で爆発 ̄ ̄右足切断の大怪我・・・。
飛行場後への薬莢拾いは禁止された。
小学生高学年の頃、コウモリ傘の円筒を利用し手製の簡易鉄砲作り、
鍛冶屋の子が作り、5分板をぶち抜く威力を自慢したが、即禁止。
ジャックナイフが流行ると子供の鉛筆削りにも飛び出す製品が出たが、
ジャックナイフその物が生産販売禁止と成った。
子供時代、筆者はヤクザと顔馴染みで本物を触らせて貰った。
かんしゃく球花火をゴム銃で飛ばし相手を脅す遊びが流行ったが、
この遊びも禁止された。
今は昔の物語です