正月は冥土の旅の一里塚 | よかもん人生のブログ

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正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし〜 一休禅師 〜👆クリック。

来年の誕生日が来ると84歳と成る筆者・・・・・・・・・。
何度も何度も死線を超えて来た人生だった。
 
1,戦後、まだ就学前の或る日、菩提寺の境内で遊んでいたら、
  突然激しい雷雨で大イチョウの傍に建っていた観音堂に逃げ込んだ。
その直後大銀杏に落雷し、大銀杏は真っ二つに裂けその後伐採。
帰宅しない筆者を探しに家族が来たそうだが、筆者は倒れたままで発見
されたが奇跡的に無傷だったそうだ。
 
2,終戦の次の年、金持ちだった町内親睦の為、博多の海水浴場へ出かけたそうだ、未だ泳げない筆者は波の怖さも知らず、波に攫われたが
沖で見張っていた中内の人に助けられた。
 
3,小石原川の下流に在る甘木川は子供の遊泳可能な遊び場だった。
堰の下流は時には渦を巻く危険地帯だったが、その渦に巻き込まれ
激しく水を飲み、死を覚悟して力が抜けたが浅瀬に流れ着き助かった。
 
4,小千谷に就職し最初の会社で研究室乾燥機のガス爆発に遭遇~~数m飛ばされたが奇跡的に無傷で助かった。
 
5,転職し免許証取り立てで、農薬配達にトラックに積んでトンネルを出た直後、そこは砂利道で、ハンドルを取られ左は深い谷底右にハンドルを切ったら前輪が側溝に落ち万事休す・・・定期バスは通過~~
大型ダンプの運ちゃんが引き上げてくれ助かった。
 
6,二度目のガス爆発遭遇は、転職先の米菓企業で試作品を焼くガス釜が有ったが、ガス釜の裏に在るゴム管に亀裂が有った模様で、ガスが漏れ
ガス爆発・・顔中が火傷し、近くの医院へ担ぎ込まれ応急処置を受け、
包帯をぐるぐる巻きにされ、そのまま運転し早退した。
ガス爆発の火傷は表面だけの火傷だそうで、包帯が取れたら治った。
眼鏡をしていたので目は火傷せず無事だった。
 
7,交通事故死直前の経験は多数ある。
  イ、信号停していたら、ダンプが横に止まり、青に成ったら左に曲がって来た。筆者は直進でそのまま行けば確実に死・・・。
急遽左に曲がり助かったがダンプはそのまま走って行った。
 
  ロ、中越地震で長岡と小千谷の境に在る崖が壊れた下り坂の場所。
通称・妙見の坂で、帰宅時、大型トラックがスリップし道を塞いだ。
咄嗟にポッピングブレーキで対応し、ぶつかる寸前で停止。
先へ進めないので、Uターン…片貝回りで帰宅した。
 
 ハ、中之島勤務では女子行員を本社応援の為、毎日朝4名送る。
国道8号は吹雪で見落としが悪い日、黄色~赤信号で停止したが、
後ろで追走していた定期便の大型車両が止まる気配も無く突っ込んできた…慌てて左折 ̄ ̄寸前で事故に成らずに済んだ。
まだまだ有るが、割愛する。
 
 ニ、中越地震では新潟地震の経験から大型地震を想定し定年前に新築した家は高床式で土台のコンクリートは厳重に作り、家の壁の総てに✖印の梁を入れた事は正解だった。
 
8,およそ11年前、雪庇落しの為、高床式の梯子を上り梯子の最上段から8m下のコンクリート迄転落した。
 
転落の総てを通行人が見ていて、駆け寄ってくれた。
筆者の転落姿勢が最適だったようで、救急隊員が護身術でも学んでいたのですかと驚愕。
 
顎紐付きの菅笠を被り、防寒具を着込んでいたのが助かった遠因。
右側面からコンクリートの地面へ落下~~反動で菅笠は飛ばされたが落ちた体は反転し、左腕を上げていたので左腕に頭が当り頭への打撃0。
 
市内の病院からは転落の高さが8mと聞くと全て受け入れ拒否。
 
やむなくカルテの有った長岡の中越病院へ搬送~~その日は転落搬送が5名あったそうだが、2名は死亡後は不明。
 
全治2か月の診断が下されたが、入院10日で退院許可が出た。
 
両膝骨折だったが、骨の再生が驚異的に早かったようで吃驚していた
 
松葉杖を借り帰宅し、支援2と成ったが半年で解除…今に至る。
 
レベル4の大腸癌手術から奇跡的に助かったのも運命か❕❓。