あの頃(3丁目の夕日)は若かった | よかもん人生のブログ

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長い人生の旅路を書き綴ったブログです

 

 

昭和38年、故郷甘木を離れ雪国に転職して来た。

 

まさか墳墓の地に成るとは思いもしなかった。

 

上越線のトンネルを抜けたら雪のトンネルが続いていた。

 

4月1日、稲荷町の坂道は観た事も無い高さの深い雪に埋まっていた。

 

甘木に初めて建設されたアイスクリーム製造会社の試験室で

 

衛生管理と細菌培養等を叩き込まれ意気揚々と就職して来た。

 

新会社の研究室は市内の高校の物理教室よりも良い設備のようだった。

 

双眼顕微鏡や化学天秤まで備わっていた

 

そこで徹底的に指導教育された。

 

米菓や醤油・味噌・食用油の化学分析・・・ペーパークロマトグラフも、

 

化学分析は、資料10種+分析10種を一人で準備し、実験し、

 

答えを出し提出出来たら一人前だと宣言された。

 

パソコンもスマホも無い時代・・・計算尺を使って大まかな答えで良し。

 

入社1年後、初めての体験で新潟地震に見舞われた。

 

旭橋を高下駄履いて「人を恋うる歌」を歌い歩いていたら、

 

 

 

地元の名士に止められ今どき珍しい地元民じゃないねと家に招かれた。

 

会社は受け判で倒産し転職に次ぐ転職人生の始まりとなつたが、

 

祖父から教わった人生訓を護り、妻を娶り自宅も建てた。

 

関連企業に分析の実勢が認められ、爾来40年強、60歳で退職し

 

人から観たら悠々自適の人生を送れている。