戦中戦後は中性洗剤さえ出来ていなかった。
田舎の香水と言って人糞が肥料として田圃?や畑に撒かれていた。
腹に寄生虫(回虫やギョウチュウや十二指腸虫や稀にサナダムシなど。
頭にはノミヤシラミが棲みついていた。
小学校で集団駆除が行なわれたが、初期の頃は「かいじんそう」と言う、
海藻の一種を煮出し飲まされたがこれが臭くて飲めた代物では無かったが、駆虫剤としては効果大で飲まされた日には、ボツトン便所で、
腹に住み着いていた回虫等が、わんさか出て来た。
その後.飲みやすい、サントニン駆虫剤が発明され、駆虫は楽になった。
今でも、花粉症に罹らぬのは腹に虫が居たお陰などと言われている。
腹の虫より怖かったのは、「みやいり貝」に寄生していると言われた、
日本住血吸虫 の生息河川があり、警戒された。
沢蟹のがにづけも危険食品として記憶している。
ハンミョウや蜂、アブやメス蚊など、ほとんどの害虫は認識していた。
マムシ以外の蛇は素手で捕まえられたが、小さくて綺麗な蛇を見つけ素手で掴んだら噛まれたが、上手に外しポケットに入れ持ち帰った。
その蛇を観た父親が真っ青な顔と成り、それは毒蛇ヤマカガシだと叫んだ・・・常識的には内地の毒蛇はマムシだけだと思っていた。
最近ヤマカガシの毒は奥歯に在る事が判った。
父親は博識で流石だった…蛇が小さかったので奥牙で噛まれなかったのが幸いした。
姉夫婦は大企業の社員で転勤族だった。
熊本の水前寺公園で初めて食べた「親子どんぶり」の美味に吃驚。
おふくろの法事で、島原観光で食べた「具雑煮」の美味さも格別。
初めての給料で食べた、初ビーフンの美味しかった事。
餃子は子供の頃、食べた水餃子の味が最高だと思っている。
我が家に伝承し、今も時々食べている。
何時まで続くか~~~食を楽しむ高齢者夫婦です。