ロケット開発は「五輪の100m走に似ている」…「あの闇を抜けてよかった」と責任者安堵
ロケット打ち上げの動画
JAXAの記者会見の映像
日本の宇宙開発の中心を担う新型ロケットが、種子島の青空に白い航跡を残しながら上昇していった。
17日午前に成功した「H3」ロケット2号機の打ち上げ。
昨年3月の1号機打ち上げ失敗を経て、背水の陣で臨んだ開発責任者らは「満点です」「ものすごい重い肩の荷が下りた」と、笑顔と 安堵
の表情を浮かべた。
3基の搭載衛星も正常分離、「H3」年6機の打ち上げ体制整備へ…今後は「月探査」にも活用方針

「H3がようやく『おぎゃあ』と産声を上げました」。
17日午後、発射場のある種子島宇宙センター(鹿児島県南種子町)で記者会見した宇宙航空研究開発機構( JAXA
)の岡田 匡史
プロジェクトマネージャ(61)は開口一番こう切り出した。
ちょうど1年前の昨年2月17日。1号機は機器が異常を検知して打ち上げを直前で中止。翌月7日の打ち上げは、第2段エンジンが着火しないトラブルで失敗に終わった。原因の特定に難航し、出口が見えない時期もあったという。
「五輪の100メートル走に似ている」。
共同開発した三菱重工業の新津 真行
プロジェクトマネージャー(59)は、ロケット開発をこう例えた。
H3の開発には10年を要した。
打ち上げの成否が決まるのはたった十数分だ。「十数分のために仲間と仕事をする。
やり遂げた時の思いは何物にも代えがたい」。
そんな技術者らの思いが結集したロケットは狙い通りの軌道を描いた。
岡田さんも「満点です。
『あの闇を抜けてよかったね』と(当時の自分に)言いたい」と感慨深げに語った。

H3の運用はこれからが本番だ。
肩の荷を下ろすことも「今日だけ」と気を引き締めた岡田さんは「3号機以降の準備は明日にも進めないといけない。
しっかり育てて、大切なミッションをきちっと宇宙に届けたい」と意気込んだ。
一方、発射場周辺では多くのファンが、打ち上げの様子を 固唾
をのんで見守った。発射場から約6キロ離れた長谷公園には、親子連れら約1200人が詰めかけた。
鹿児島県中種子町の教員(56)は「打ち上げが決まってからドキドキしていた。
成功して本当によかった」と涙ぐんだ。
南種子町の高台には、JAXAの協力で宇宙について学べる「宇宙留学」で町民宅に下宿する町立南種子中の2年生(14)らの姿も。
この生徒はH3の開発に奮闘する技術者の姿に心を打たれたといい、「どれだけ高い壁があっても越えられるように、自分も努力したい」と話した。
今後は打上げ実績を重ね、
世界中から注文を受けられる、
H3ロケットの完成を祈っている。