防災の日は過ぎたが、原水爆の戦争懸念は治まり無し 戦後の長崎は佐世保に住んでいた従兄弟の同級生と歩いた。 焼け落ちた建物の階段に人型の黒い焼け焦げが残っていた。 市内電車は復活していたが、学生だった2人は、ほとんど無言で1日中歩いた。 核攻撃されても今の自衛隊に反撃核は無い。 しかし真日本人なら黙して死する訳には行かぬ。 対抗策は有りや無しや❕❔