暴れは泣くまで喧嘩は死ぬまで…子供時代の合言葉 | よかもん人生のブログ

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長い人生の旅路を書き綴ったブログです

昭和16年///大東亜戦争勃発時に生まれ戦後時代に育った。

 

遊びはもっぱら戦争ごっこ~~タ~ザンごっこ。

 

餓鬼大将が腕力で強さを誇示するのは昔も今も変わらないが、

 

上背が低く痩せ細っていた筆者を子分にしようとする餓鬼大将達。

 

筆者の秘策は残酷さを敢えて見せつける事だった。

 

蛇でもカエルでもイモリでもカマキリでも手掴みできた。

 

オニヤンマを何匹も捕まえ、その目玉で腕輪を作り仲間に見せた。

 

流石に親に見咎められ、目玉の腕輪は1回でやめた。

 

小川や田圃に血を吸うヒルは日常茶飯事・・・

血を吸われると泣きだす仲間は(特に女子)は沢山いた。

 

そんな時こそ筆者の出番で、チョット痛いが我慢と言ってヒルの上から

足や腕を叩くと吸い付いていたヒルが落ちる(ヒルも痛い)

 

落ちたヒルを直ぐに手で拾い上げ近くの砂にまぶす。

 

そして植物の茎をヒルのお尻から差し込むとヒルは裏返しと成る。

 

そのヒルを血を吸った罰・・・死刑じゃと土手にずらりと刺した。

 

餓鬼大将以下、誰も真似できず、一目置かれた。

 

放し飼いされていた町内の犬達は、全てが俺の子分だった。

 

餓鬼大将にもできない事だった。

 

町内に米軍の駐屯地があり、常にMPが立っていた。

 

軍用犬の大きな(セパード)まで,何故か自分には牙を剝かなかった。

 

花柳街でヤクザが屯す中で育ったが子供だった筆者は見逃された。

 

ジャックナイフ(今は製造販売所持禁止)もドスも本物を触った。

 

中学3年間で28cm身長が伸び、当時の平均身長となった。

 

戦後の混乱期、町中にネズミが増えすぎ、市は1匹10円で買い取ると

通達が有った事で、ネズミ捕りはお手の物だった筆者は、かなり捕まえ

小遣い稼ぎが出来た。

捕まえたネズミはバケツで水死させ、尻尾を切って、市役所で交換。

 

酒の飲めぬ体質が幸いし、社会勉強と言う名の飲み仲間にも入らず。

 

七転び八起きの現役時代も無事に済み、悠々自適の今がある。