”昭和20年の8月14日、明日は死ぬと、3歳8か月で体験した記憶” | よかもん人生のブログ

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長い人生の旅路を書き綴ったブログです


終戦後のお祭り騒ぎが終わった後に、本格的な耐乏生活が始まった。

 

我が家には家族の分だけ鉄兜とガスマスクが備えてあった。

 

ガスマスクのガラスは擦るとよい香りがする匂いガラスだった。

 

生活費の糧に消えたのか?ガスマスクは2個が残り、その2個も筆者の遊びでガラスが割れた。

 

大人たちは生活の為に目は血走り、子供たちはガキ大将が統率した。

 

各家庭に配給キップが配布され、何処へ行くにも配給キップ持参だったそうだ。

 

米の代わりに。サツマイモの配給が良く行われていた。

 

我が家ではメリケン粉(小麦粉)を捏ね、中にサツマイモを角切りにして、、サッカリンで甘みを強化し、

 

蒸かして、石垣饅頭と称し、代用食としてよく食べさせられた。

 

父は子供達(姉5人+男兄弟3人))に食べさせろと自分は栄養失調となり、治療された由。

 

その父母も93歳で天寿を全うし、仏壇の中から、このブログを覗き見している。