2005年8月22日、初投稿記事を加筆訂正しました。
古代日本で、大和朝廷が日本を統一する以前、
日本列島には、すでに先住民達がいた。
熊襲や土蜘蛛と言われた人達、出雲で高い技術を持っていた大勢力、
アイヌの先祖、津軽にいた謎の集団、など大小様々な形で暮らしていた。
文化や技術的な面は玉石混合で小競り合いしながら時代が経過した。
大和勢力と戦い、妥協し駆け引きと陰謀の中から、
ほとんど全てが平定された。
しかし「まつろわざる者」(体制に従わない者の事)達は山奥に逃げ込み
下界との接触を断った、日常全ての接触である。
その結果、時の権力から租税免除の権利を得たが、
同時に日本歴史から抹殺される事になった。
人間あつかいしない、無害な案山子、山に住む案山子
その人達が「さんか」、「山案」である(筆者の独自見解)
同時に、河童も川や湿地帯に住む原住民を軍事的に子ども扱いし、
抹殺した結果、河童伝説として語り継がれて変化したと考える。
2005年、古部族サンカを取り上げた…
当時サンカに関するネット情報は見当たらなかった。
漂白集団サンカは九州四国を初め西日本の山岳地帯を渡り歩いていた。
対して東日本にはマタギと呼ばれた人達が居たが割愛する。
山を下る集団が出てきた、しかし下界と呼んでいた、平地に住む人は、
既に、士農工商と言う、身分制度に縛られていた。
サンカは身分制度の下に位置付けされ、
ここでは山窩(サンカ)を⇒山の案山子の当て字で「山案」とした。
犯罪者や政治犯を含め、通称「四つ」とか「エタ」と呼ばれた。
差別集団の誕生である。
インドのカースト制度の身分制度には及ばないが、
その習慣が現代に引きずられている、由々しき問題である。
ここで「日ユ同祖論」・・・日本人とユダヤ人は同じ祖先を持つ
話に発展するのだが、長くなったので次回とします。
この記事をコピー転載しようとしたら拒否された。