父母共に、93歳の天寿を全うし黄泉の国へと旅立った。
そして迎える母の25回忌・・・集まる家族は我が家の家族だけ。
8人の子沢山だった父母だが、5人は死に絶え、一人は寝たきり、
名古屋の弟は都合で故郷の安長寺まで帰れないのか返事が無い。
25回忌を前に思い出した事がある。
雪国で結婚以来、指折り数えられるほどしか、
安サラリーマンの身分では帰省できなかった。
毎月多少の仕送りはしたが盆正月に帰省もできず親不孝を重ねた。
77歳の時に父母作の俳句です・・・・
1 とそ祝ふ、父き(喜び)の字よと、子らは言い。父作
2 喜寿の春、帰れる子なし、ね正月。父作
3 春の喜寿、喜び送る、梅一枝。母作
4 いつの間に、梅花とともに、喜の字来ぬ。母作
5 いたいたし、古木に一枝、梅香る。父作
6 老梅の、枝折り戸ごしに、二三輪。母作
7 寒風に、ふりかえり見つ、庭の梅。母作
1 とそ祝ふ、父き(喜び)の字よと、子らは言い。父作
2 喜寿の春、帰れる子なし、ね正月。父作
3 春の喜寿、喜び送る、梅一枝。母作
4 いつの間に、梅花とともに、喜の字来ぬ。母作
5 いたいたし、古木に一枝、梅香る。父作
6 老梅の、枝折り戸ごしに、二三輪。母作
7 寒風に、ふりかえり見つ、庭の梅。母作
70歳の思い出として纏めてた俳句集です。
父が「想ひ出の手記」と題し父母そして祖父母の思い出を、

熱くペン字で書き残し122枚もの方眼紙を埋め尽くしている。

私から見て祖父母・祖祖父母の人となりが手に取るようだ。
明治時代の生きざまが手に取るようで、祖父の武勇伝は
特に劇画を読むような迫力で迫ってくる。
・・・
大宰府で「孫三物語」と言う「のぞき」の最中に、
鬼のような形相の観客が「のぞき」の道具一式を押し倒し大暴れ
野師の仲間が怒ってまさに乱闘寸前の中から声がして
それが本物の「孫三」じゃがなの声に、野師たちは青くなり
蜘蛛の子を散らすように一目散に逃げ去ったと。
頃合いを見て父(私から見て祖父)「孫三」煙草でん買いない
50銭玉を握らせる。
いやそげんなもん、いらん。
町長さんは気遣いばっかりさっしゃる。
そう言いながら、貰って何度も何度も頭を下げ手の中の50銭玉を
押し戴いて帰って行く所は甘木警察署長の家らしいと閉めている。
(100年前以前の話し、当時の50銭が今も価額で判然としない)
「孫三」と言う人がどんな人物だっか聞き忘れたが
背中に竜虎の刺青が有ったようだ!?
・・・・・・・
18年間のワンマン町長時代の最後には請け判により、
当時の退職金1万数千円全てと家屋敷全てを請け判で失い、
残りを父が生涯を掛けて支払い終えて黄泉の国へ旅立った。
武士は食わねど高楊枝が口癖で戦後の配給で栄養失調となった。
請け判で夜逃げしていた商店主は払い終えたと知るや、
ノコノコト舞い戻り、商売を大きくし今に続いている。
祖父は余生を長男の住む東京で暮らす為に郷里を旅立つ時、
甘木駅まで見送りに来てくれたのは、親戚の他はヤクザの親分、
唯一人だったと書いている。
18年間町政を任せ半年前に円満退職した町長への義理人情の欠如
これでいいのかとヤクザの親分が憤っていたと書いている。
人間としての器は小さくなったが反骨精神は連綿と受け継いで居る。
25回忌、さて親は喜んでくれるかな?