大東亜戦争時、首都機能を維持する為、岩山の地下深くを縦横無尽に、
掘削し、10km余の大本営跡が掘削されていた。
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工事に当たっては日本人3千人、朝鮮人6千人が徴用されたが、市のパンフレットにある「食糧事情が悪く…多くの犠牲者を出した」という事実はなく、実際は一人1日7合の白米を配給され、犠牲者は数名程度。中には現地住民と恋愛結婚した者もいた程で、当時の食糧事情を考えればむしろ厚遇されていたとさえ言える。↑(大本営跡おすすめ・・・より引用)
天気は上々8時半出発、普通の道で片道122kmほどの行程でした。

道案内に従い、象山記念館~象山地下壕(大本営跡地)へ

地下壕への入坑は無料ですが、ヘルメット着用でした。

岩盤をくり貫いて作られている地下壕は頑丈そのものでした。

公開されている部分はほんの一部ですが、トロッコの枕木の跡が・・・

縦横に金網で塞がれている地下道が不気味に奥へ繋がっていました。

公開されている一番奥には千羽鶴が飾られていて当時の苦労が偲ばれます。
大型バスでの見学者まで訪れていました。
壕入り口の土産物屋で、貴重な情報を仕入れた。
自家用車で来られたのなら、少し走れば気象庁地震観測所の傍に、
戦時中に疎開され天皇が住まわれていた御座所跡があるから行って見たらと勧められた。
渡りに船、得たりや応と、感謝感謝で気象庁地震観測所まで一走り。
此方が本当の大本営予定地跡・・・今は気象庁の地震観測施設です。

構内は公開されていません。

地震計は展示室で多種多様の地震計が見られます。
そして究極は、案内表示も出ていない、疎開されていたと言う、

天皇陛下の御座所住居です、
窓の外から中が覗き見できました。

質素そのものでした、教えて貰わなければ、絶対に見逃すでしょう。
あえて戦争の是非、地下壕の是非は書きません。
この住居から、地下壕への通路が出来ているそうです。
往復245km、マイカーでの燃費は脅威の34,1km/ℓでした。
同年齢・・・爺二人の見学は意気盛んでした。