先日の帰省旅行で、叔母と約束していた昔の記事が漸く見つかった。
何処に分類していたかも判らず、ホトホト困っていたのだが、
ブログ開始の2005年6月から順次繰り下げて検索して見つけた。
「家族団らんのひととき 続」他愛も無い子供の指遊びを書いた文章だが
通常は、ずいずいずっころばしゴマ味噌ずい・・・となる所、
郷里では、
いっちゅく、ちゃっちゅく、ちゃえまめ、あのこがの、
のんのんじゃくしの、どうとんぼ、あれふんだり、これふんだり、
うんとこふんだが、よかとこたい、
きつねぶくろちゃぶくろ
まないたのでし・・・・・と習い覚えている。
歌い方は、通常の「ずいずいずっころばし」とほぼ同じだが、
意味不明だったので、↓「続」で解説を試みた。
いっちゅくちゃちゅく、茶絵豆、あの子がの、のんのんじゃくしの、どうとんぼ
あれ踏んだり、これ踏んだり、うんとこ踏んだら、よかとこたい
キツネ袋、茶袋、まな板の弟子
このままでは、チンプン、カンプン、で意味をなさない、一小節ごとに解説をしてみた
1 いっちゅくちゃちゅく、 一宿、着宿、が、なまつた言葉
2 ちゃえまめ、 舎、え、まめ、となり、学舎へマメに通うとした
3 あのこがの、 そのままでいいが、男の子がの、かも知れない
4 のんのんじゃくしの、 「のんのん」は子供が「仏様」に使った言葉
「釈子」は釈迦の弟子、の意味、「しゃ」が「じゃ」になまった
5 どうとんぼ、 「ど」は「動」がつまつた
「うと」は「鳥兎」と書き、「うと」と読み、金鳥玉兎の略で
太陽と月、日月、としつき、歳月、光陰、などを意味する
「んぼ」は「ん」が接尾語で、「ぼ」は「母」かも知れない
6 あれ踏んだり 修行のため、彼方此方の寺社を訪ねると解釈した
これ踏んだり
7 うんとこ踏んだが 「うんとこ」「よかとこたい」共に方言であり
よかとこたい 「たくさん」「良いことです」となり
たくさん修行したほうが良いことだと解釈した
8 きつねぶくろ 「き」、は、「起す」の意味
「つね」、は、「常」の意味
「ぶくろ」、は、福禄寿が、長い間に変化した意味で
修行をすると福禄寿の功徳が、常に起きると
諭した言葉、と解釈した
9 ちゃぶくろ、 「ちゃ」 は、感謝の謝
「ぶくろ」、は 頭から下げた「頭陀袋」
10 まないたのでし 「まな」、は 「愛」いつくしむ意味で、愛弟子等に引用される
「いた」、は 「いな」の間違いで、「維那」と書き
禅家で衆僧の、進退威儀を、司る役とされている
「のでし」 は、「の弟子」となる
これで言葉の解釈は終わりですが、長い年月の間に言葉が長短したり、変化したりして
完全に一文にする事は出来ない、この文を読まれた方、それぞれが各々解釈して下さい。
あれ踏んだり、これ踏んだり、うんとこ踏んだら、よかとこたい
キツネ袋、茶袋、まな板の弟子
このままでは、チンプン、カンプン、で意味をなさない、一小節ごとに解説をしてみた
1 いっちゅくちゃちゅく、 一宿、着宿、が、なまつた言葉
2 ちゃえまめ、 舎、え、まめ、となり、学舎へマメに通うとした
3 あのこがの、 そのままでいいが、男の子がの、かも知れない
4 のんのんじゃくしの、 「のんのん」は子供が「仏様」に使った言葉
「釈子」は釈迦の弟子、の意味、「しゃ」が「じゃ」になまった
5 どうとんぼ、 「ど」は「動」がつまつた
「うと」は「鳥兎」と書き、「うと」と読み、金鳥玉兎の略で
太陽と月、日月、としつき、歳月、光陰、などを意味する
「んぼ」は「ん」が接尾語で、「ぼ」は「母」かも知れない
6 あれ踏んだり 修行のため、彼方此方の寺社を訪ねると解釈した
これ踏んだり
7 うんとこ踏んだが 「うんとこ」「よかとこたい」共に方言であり
よかとこたい 「たくさん」「良いことです」となり
たくさん修行したほうが良いことだと解釈した
8 きつねぶくろ 「き」、は、「起す」の意味
「つね」、は、「常」の意味
「ぶくろ」、は、福禄寿が、長い間に変化した意味で
修行をすると福禄寿の功徳が、常に起きると
諭した言葉、と解釈した
9 ちゃぶくろ、 「ちゃ」 は、感謝の謝
「ぶくろ」、は 頭から下げた「頭陀袋」
10 まないたのでし 「まな」、は 「愛」いつくしむ意味で、愛弟子等に引用される
「いた」、は 「いな」の間違いで、「維那」と書き
禅家で衆僧の、進退威儀を、司る役とされている
「のでし」 は、「の弟子」となる
これで言葉の解釈は終わりですが、長い年月の間に言葉が長短したり、変化したりして
完全に一文にする事は出来ない、この文を読まれた方、それぞれが各々解釈して下さい。
おそらく、小さな修行僧を励ます歌として寺周辺で歌い継がれていたものと推察するが、親世代が死に絶えてしまった今では真相は不明である。