何と言う暑さでしょうか、今日も35℃を越えています。

台風のフェーン現象なのか、玄関前の外壁の上は40℃です。
熱風が吹き荒れて、風鈴は鳴りっぱなしです。

時々鳴るのは涼しく感じるのだが、うるさ過ぎです。
若ければ、海に川にプールへと直行したくなるのですがね。
見よう見まねで泳ぎを覚えた餓鬼の頃から、泳ぎは何でも覚えました。
自己流で<日本泳法>などお茶の子さいさいのカッパでした。
同年代の新潟県人で泳げない人が多いのが不思議です。
頭を上げて泳ぐのなどは得意中の得意です。
昔は仰向けになって1時間でも2時間でも浮かんでいられた。
2度ほど溺れ、浅瀬に流されて運よく助かり今が有ります。
小学時代の夏休みは勉強そっちのけで、
午前~午後と裸足で川まで何度も歩いてゆきました。
軒から軒へと日陰を目掛けて全速力で走る走る。
そうしないと足裏が火傷するのです。
下駄を履いて行けば良いのに、
飛び込んだ川岸と、遊んだ後の川岸が、かなり離れてしまい、
上がった場所から近道で家に向かうので下駄は邪魔だったのです。
顔から背中から腹の皮まで、一夏に何度も剥けました。
今と違い、黒く焼けるのは自慢になりました。
夕立でも来ようものなら、素っ裸で飛び出し大粒の雨に叩かれていた。
親たちは戦後復興で忙しく、子供に構ってなど出来なかった時代です。
子供は餓鬼大将を中心に、ルールに従って生きていました。
泳ぎ方は、年長の餓鬼大将から教わるのです。
泳げなければ馬鹿にされ、仲間はずれが怖くて、直ぐに覚えました。
学校にプールなど無い時代ですからね。
犠牲者もでたが、川と沼が泳ぎの場所でした。
川は毎日、よかもんカッパのテリトリーで、
海などは福岡の姪浜にいた姉の家に遊びに行った時ぐらいでした。
思い出話は尽きませんが、まずはこれまで・・・・・暑いよ。




先日行ってきた「越後川口やな」です。