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今は昔となりますが、おそらくは昭和初期頃までこの町内では、大鍛冶屋の初午祭でこの祭壇が飾られて近隣の子供達が集まり、太鼓を叩き、笛を鳴らし、
ご馳走を食べて1日を過ごしたのだそうです。
今は個人住宅内にこの時期だけ飾られている、【正一位・位南方稲荷神社祭壇】ですが、
祭壇中央には鏡が飾られていて、右大臣左大臣もかなり古いものです。
祭壇自体、滅多に拝めない代物で【ひいな祭り】に合わせて今年は出されていると、
街角の張り紙で知り、早速交渉して見せてもらいました。
次の公開日は3月13日と14日(午前10~12時・午後14~16時)です。
この祭壇は垂れ幕にある、明治14年に作られたのだろうか?
提灯も緋毛氈も時の流れに綻びが見えていました。
今回の展示が終わった後に宮大工に祭壇の修理を依頼するそうです。

数々の古文書の中で特に目を引いたのが、

朝廷御鍛冶所 三品家からの許株鑑札とそれを書き示していた古文書です。

それと共に「一分銀鋳造版」が残されていました。

錆びてはいるが、神聖なる神霊刀も展示されていました。
昔は初午祭りでも絶対に出さなかった神霊刀だそうです。
自費出版の書籍は、国立図書館にも寄付され大学関係者からも注目されています。

朝廷と地方の一鍛冶屋の関係は興味が付きません。

この話題はブロガー仲間の「おじさん」の得意分野でしょう。
良い物を見せていただき目の保養をしてきました。

本体のお稲荷様はまだ雪の下で冬眠中のようです。