この写真は拡大します。
墓参旅行も最後の大詰めとなり、太宰府天満宮参拝の後、
天智天皇が建立された「観世音寺」と日本最古の釣鐘を見て、「戒壇院」を訪ね、
「大宰府政庁跡」など見ながら福岡空港まで行きたいと、
タクシーに乗り込み運転手に話した。
それならば詳しい人がいるからと、観光タクシーを進められタクシー無線で呼んでくれた。
感謝しながらタクシーを乗り換え、「観世音寺」へ・・・
所が肝心の釣鐘は「九州国立博物館」に貸し出し中で鐘楼はもぬけの殻でした。
横門ひとつ潜ればそこは「戒壇院」。
世の浮き沈みを目の当たりに出きる、佇まいでした。
西の都と呼ばれた政庁跡は公園として整備されていました。
菅原道真公が配流された「榎寺」を遠望し「大城山」=「四王寺山」に向かう。
宝満山に行きたかったのだが時間が無く、遺跡のある山として運転手任せである。
この山こそ、凡そ1300年の昔、朝鮮半島で唐、新羅連合軍に、
百済軍と任那に有ったとされる日本府の大和朝廷連合軍が負け、
福岡の海岸部にあった大宰府政庁を四王寺山の後ろに移し、
平野部に深い水城を掘って、唐・新羅連合軍の進行に備えたのが
天智天皇の一代事業の国策であった。
その遺跡を見学傍ら四王寺の山越えで福岡空港まで行きました。
途中の小高い場所から見下ろす、大宰府の町並み、九州国立博物館の大きさが秀でていました。
天満宮は博物館の左手前の木陰で良く判りませんでした。
この山は、戦国時代秀吉の九州征伐に先駆けて島津軍に攻め滅ぼされた、
岩屋城の城跡や墓石跡が有りました。
白村江の戦い(663年)の後作られた朝鮮式大野城跡の「百間石垣」は感慨無量でした。
百間石垣では久々の霊感を感じました。
小さな流れの滝では写っています、拡大して角度を変えながらじっくりと見てください。
福岡空港ではこの看板でお別れでした。