


上の図は鵜戸神宮様のホームページから拝借したものです。
今日は一日魂が飛んでいた。何をしても上の空、パチもブログも駄目であった。
何処に飛んでいたかと言うと太古の昔に飛んでいました。
昨日書いた、鵜川神社の記事でこの神社が九州に起源があるとブログ友から教えられ、
太古の昔に魂を飛ばしていた。
筑前博多の「箱崎八幡宮」から太古の昔(811年)に分霊されてこの神社が出来たと言う。
更に遡ると鵜川神社の祭神は宮崎日南市の鵜戸神宮で生まれたと記述されている。
誰がって・・・神代の昔、「ウガヤフキアエズ」これだけでは何の事か誰の事か分からない。
神武天皇の父で、「トヨタマヒメ」の子だそうである。
アマテラスの孫、ニニギの尊がコノハナサクヤ姫と結婚、その子が、海幸彦、山幸彦で
山幸彦の子が、「ウガヤフキアエズ」、頭がこんがらがってきます。
霧の彼方の、日本神話時代を経て、鵜川神社の祭神ウガヤフキアエズがここに祭られたのです。
所が鵜川神社は同じ柏崎市の黒姫山にも祭られ、里宮が麓にもあります。
黒姫山は、新潟県だけでも数箇所あり、長野県にもその他の県にも存在するようです。
黒姫山は、金や銅など昔、山師達が騒いだ山で、大江山の酒天童子も、
鉱山を探りながら黒姫山などを経由して、大江山までたどり着き、おとぎ話に登場しています。
日本を征服する為、縄文人を追い詰めた、弥生人たちも、武器の調達や権力の強化のため、
鉱山開発は欠かせなかったはずです。
人を立ち入らせぬ為に、竜伝説や鬼伝説を流布し鉱山の独占を図って権力を拡大してきた弥生人の権力者集団。
日本海を北上して勢力拡大を図った結果、
出雲の大国主命と新潟県糸魚川の奴奈川姫(ぬながわひめ)との結婚と言う形で、
越の国(新潟)は出雲の勢力下に置かれ、出雲は国譲り神話で、弥生人の大和に屈した。
鵜川神社は地元人の監視拠点であったのだろうか?
NHKで放送されている上杉軍の知将、枇杷島の宇佐美家のお城はこの鵜川神社も含まれていたようです。
永禄7年1564年、枇杷島城主、宇佐美駿河守定光が死去した後、
昨日のブログの巨木は急速に衰退し始めたそうです。
12000年の大昔に縄文人である原日本人の遺跡が発見されたと聞いています。
時空を飛び、ヨーロッパではヒッタイトが鉄を発見していた時代に、縄文人達は生活していたのです。
ヒマラヤも今ほど高くは無かった頃、ゴビ砂漠も今ほど過酷でなかった頃、
丸木舟で、大陸と交流していた昔の日本人達、
ユダヤの失われた十二支族が日本にたどり着いたとしても何の不思議もありません。
妄想は取り止めも無く魂を飛ばしました。
結論は出ません、この位で適当に切り上げないと眠れなくなりそうです。
それでは又・・・。