お盆直前の思い | よかもん人生のブログ

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               この文字絵は菩提寺から頂いた枕カバーです。

盆の入りを明日に控え、今年一番の暑さです。

先ほど車で外出したとき外気温が38度まで上がっていました。

日曜日でもあり、墓の草取りに訪れる人がぼちぼち見えています。

明日の夕方は例年通り、銀座通りの賑わいを見せるはずです。

1年間のご無沙汰をこの日に凝縮する日本人の習慣は外国人には理解できないところでしょう。

この歳まで生きていると両手の指では収まりきらない身内との死に別れを体験しています。

生前の思い出がブログを書きながら蘇っています。

昭和20年7月、7歳にして疫痢を患いこの世を去った3つ違いの姉、

五百枝(いほえ)・・・おえちゃん、おえちゃんと、慕っていた思い出ですね。

身内との死に別れはその時初めて体験し、強烈に幼い記憶に残っているのです。

3~4歳の記憶は断片的にしかないが、多分この後だと思うが、父が朝晩お経を上げるようになり、

父がお経を上げる習慣は、父が90過ぎとなり死の病に倒れるまで続いていた。

それを傍で聞きながら、漢字も読めないのに、延命十句観音経を直ぐに覚えたそうである。

顔を思い出せない所為か、お盆になると真っ先に死に別れた姉の事を思い出すのです。

花を手向けるお盆は年に1回、場所こそ違え、合掌で思いは伝わっているはずですよね。

明日は早朝に墓掃除を兼ね草むしりに出かける心算です。



子供時代は父母に伴われ、墓地の草むしりに出かけました。

麓の釣瓶井戸から水を汲み上げ、手桶にあける。

やっと底が覗ける深さで、子供心にお化けの連想で怖かったですね。

13日の夕方になると、玄関で迎え火を焚き、

墓参りに行き、ご先祖様と共に帰ってくる。

仏前には母が作った、精進料理のお供え膳(おりょくぜん)が備えられている。

出されている提灯に火が入り子供心は浮き立った事を覚えています。

仏前に上げる前は別として「おりょく膳」は父の許可が出ない限り摘み食いは厳禁であった。

日頃からひもじさと戦っている子供に取っては過酷な試練の時間でした。

16日の朝、送り火を焚いて、ご先祖様をお墓まで案内し、

その帰り道は必ず別の道を通って帰る・・・ご先祖様が別れを惜しみ憑いて帰れないようにするためだそうです。

習慣風俗は、様々に分かれても、ご先祖を敬う思いは一つ、お盆はいい習慣です。