今から十数年前になるだろうか・・修行中の雲水がある事件を起こした事がある。
禅宗の雲水修行は厳しいものだと聞いてはいた。
修行を全う出来ず、僧門に入れず挫折する者も出るそうである。
仮に修行が無事に終わり、無事僧門に入れ、お寺を継いだとしても、
その後誘惑に負け僧門から破門された事実も見聞きしている。
俗世間と一線を画し、修行に励む雲水も、中身はただの人間である。
10代20代の若い体は欲望の塊、色欲、食欲、金銭欲は特に捨てがたいだろう。
修行のための座禅堂では、参禅のたびに喝(かつ)を入れられ、
修行の托鉢(たくはつ)では恥ずかしさに耐え、身の置き所さえない。
修行の身は内心に渦巻く欲望との葛藤に苦しむ毎日であろう。
その心情は
『喝、托鉢三昧の身か、参禅』
さてこの言葉ですが、この中に「他意込め文」として雲水の心を読み込んでいます。
ひらがな読みにすると; 『かつ、たくはつざんまいのみか、さんぜん』と読みますが
逆から読むと; 『ん、ぜんさかみのい、まんさつはくだつか』となります。
漢字変換すると; 『ん、禅さ、神の意、万札剥奪か』
となり、雲水の憤懣(ふんまん)やるかたない姿です。
平成6年に自作した、この短い「他意込め文」三箇所の禅寺に持参して意見を聞いた事があります。
三者三様の答えでしたが、その後、私を見る目が違ったことは記憶に残っています
どう違ったかはご想像に任せます。
ブログでは思いの丈を吐き出す人も多いのですが、108つの煩悩を書き表すのは至難の業です。
しかし上手く表現できなくても書いているうちに、心の表現が出せるようになります。
今回書いたこの『他意込め文』でも『ことばあそび』の項目で最初に書いたときには
ほとんど見向きもされなかったのです。
今現役バリバリの人たちも、悠々自適の人たちも、生活に汲々している人たちも、
人の心の中を読み取る事は難しいが、自分から出す事は容易です。
心の痛みは吐き出す事で軽減されます。
お試しを。