企業主体の雇用問題が複雑化している。
派遣社員などは企業にとって物扱いで人件費までが物品購入費で落とされている所もあると聞いている。
私が勤めていた会社などでは、労使協約で臨時職員などと共に、その扱いが表記されていた。
派遣や臨時職の準社員は、特に技量が優れている者に関しては、
その業務担当社員推薦の上、正社員への昇格を役員会と組合の協議で決定すると書かれていた。
しかしここにも抜け道があり、
美人派遣社員などは、親密な男女関係が裏取引されていると噂にのぼろ事が多々あった。
こんな不規則な、雇用形態が大手を振って歩き出したのは、バブル期と相前後する。
日本全体が組合活動の活発化に喘ぎ、会社はそこからの脱却に必死であったとき、
アメリカの雇用形態が労働者側に、夢の世界として映し出された。
能力ある者は、転職を厭わず、その技量を持って新会社に行くことこそ美徳。
転職も出来ない者は、落ちこぼれとして蔑まれる風潮が自然に作られていった。
下積みに揉まれて育つ若者にとって、この風潮は渡りに船である。
後先も考えず、自分の力を過信して、多くの若者中堅社員が会社を後にした。
その時点では雅かこの流行が今日の格差社会に発展するとは仕掛け人以外は知るよしもなかった。
バブル崩壊の苦境時代を、会社は何とか乗り切り、実力社会の到来と若い労働者にも夢があった。
所が実力時代の表看板を掲げた結果、お荷物扱いされた中高年者は、リストラの波に流され、
会社から追い出された。
残された中高年技術者は、明日は我が身と、若者への技術移転を拒む結果が出てきた。
これは事務職、セールス職の如何に関わらず起きている。
雇用形態の変化が、終身雇用を基盤としていた、会社人間にとって、
上司、同僚、部下全てが敵となり、仕事自体がギクシャクしている。
職場内が一つの家族運命共同体としての機能を取り戻すためには、
旧来の日本型終身雇用制度もあながち捨てた物ではない。
未来を生き残るために、会社も組合も人も、今一度、考え直す時であろう。