昭和38年豪雪の春に私は雪国に住み始めた。
4月1日に上越線の三国トンネルを抜けた途端、線路の両脇は雪の壁で白一色の世界であった。
川端康成が書いた「雪国」の世界がそこにあった。
市の中心部にあるメイン道路は車も通れていたが、脇道は全て雪の山が3メートル以上残されていた。
生まれて初めて見た雪の量に言葉が出なかった事を覚えている。
会社の独身寮の玄関まで、前の道から玄関に向け下向きに10段ほどの雪の階段が作られていた。
10メートルはある道幅が全て雪で埋まり、歩ける所は人の幅ほどしかない。
堅く締まったその場所をはずすと、膝まで雪の中に沈む。
4月なのにこの状態、1~2月の積雪量は想像できない事であった。
その年は生命線の幹線道路確保のため、自衛隊の出動が行われて漸く幹線だけが確保されたという。
次のシーズンから雪下ろしの経験を積み重ねる事になったのだが、
まだ木製の「こしき」と呼ばれる雪下ろし用の道具が幅をきかせていた。
「雪とよ」は全所帯が使い重宝していた。
昭和20年代の発明か?雪下ろし作業が大幅に軽減されたとの事である。
現在雪下ろしにもっとも活躍しているスノーダンプやアルミ製のスコップなどはまだ無かった。
昔の雪下ろし風景を、写真で紹介している、URLがあったので、下に貼り付けて紹介します。
私の親達以前の年代は今とは比べものにならないほど、大変な時代であった事が解ります。
現代は有り難いばかりです。
昔の除雪・雪下ろし;http://www.city.tokamachi.niigata.jp:16080/th/somu/kouhou/yukiguni/right/4rekisi/4-9.htm