火の車作る大工はおらねども | よかもん人生のブログ

よかもん人生のブログ

長い人生の旅路を書き綴ったブログです

火の車、作る大工は、おらねども、己が作りて、己が乗るなり。

この和歌を誰が作り、どんな背景があるかはここでは問わない。

一般には家計の苦しさを反映した言葉として知られるが、突き詰めると「竹田(八幡)の薮知らず」になる。

理論のヤブに入り込み道に迷う。円周率の計算と同じで、果てがない。

人間は何千年も宗教戦争の火の車に焼かれながら、果てが見えない。

まして個人が乗る火の車は千差万別。本人には周りが見えなくなる。

周りが差し出す救いの手さえ、火の舌としか見えず振り払う。

こんな経験は誰にもあるのだが、火勢が強い内は本人の視野が狭くなり、救助困難。

柔らかくて暖かい時間という真綿にくるまれば直ぐ周りが見えてくる。

周りは善意の固まりだから。

このブログは、見学者参加型です。コメントを本文に反映させます。

ブログ仲間のTABOさん(別名・・ダイエット恵比寿)の発案を頂きます。

貴方の考え、コメントして下さい。

ちょっと怖いお伽草子のURLはこれです。http://www5d.biglobe.ne.jp/~s-now/otogisousi_027.htm


《TABOさんのコメント》

脳は論理回路というより、有機生命体でしょうね。生命は無常の中に置かれますから、思考も無常と捕えて、川の流れにあると思えば「火の車」は消えますよ。論理を何処に置くかは、その人の信念です。しかし、ボケは日々確実に忍び寄るのです。

知的ですね~。死線を越えて到達した「中村天風」さんの理論について学ばれただけのことはある。
中村天風の紹介URLはここですhttp://www.tempukai.or.jp/


《与五郎さんのコメント》

blogをよんでいると、皆それぞれの火の中にいるみたいな気がしてきてます。一つ、何かに気づけばたちまち消えてなくなる炎なんでしょうが、僕はそれを自覚しつつ消すことができません。

私も同じです、ただそれを受け入れているだけです。


《ひみ子さんのコメント》

私は、氷の火の中です。

雪氷で作った雪国の「かまくら」の火は人を暖めます。ひみ子さんは「氷の中の火」で、
花と和歌とで人の心を温めてくれています。


《CHA-CALLさんのコメント》

はじめまして。正しく今の私が火車です。信じようとしても信じきれないという事は、自分の問題であるのは判るような気でいます。自分で平常心を持てない状態を少しビックリしてもいます。少し休みたいと思います。 ありがとうございました。地獄で仏に出会ったような気分です。

自分の目は二つだけ。見える範囲なんか限られている。火車の業火も目を瞑れば見えやしない。
心が落ち着けば、必ず善意の手が届くますよ。


《TALOさんのコメント》

東洋医学でいうならば「火の車」は、「肝火上炎」という状態で「肝の気鬱状態が進行して化火し,この火が経に沿って上逆しておこるもの」。 といえると思います。炎上した肝火を抑えるために、・瞑想 ・腹式呼吸 ・森林浴 ・食事では、しその葉の摂取 ・アロマでは、ラベンダー ・できれば休暇をとり、頭を休める ・BLOGやメールは朝 ・早寝早起 ・アルコールは体を冷やすビール1本程度 ☆普段からの予防法☆1日に自分1人のだけの時間をつくり慌しさの回避

TALOさんも大きな善意の手の持ち主です。心に思うことのある人は、
コメント欄からTALOさんのブログを覗くことを進めます。


《ユウさんのコメント》

世の中には、人は救いたいけど、最終的には自分は自分で救いたいと思っている私のような修行系の人間もいますから。誰か、尊敬できる人に救われたいと思い続けながらも、どうすればいいかわからず、ダークサイドにいたこの数年。ヤフーブログのブロガーたちに出会うまで、私の人生には、ほとんど希望の光はなかったのです。

私も似たような時期がありました。孤独と思いこんだ自分を励ますように、年賀状にこんな言葉を書き込んだこともあります。漢詩の法則は無視しています。
   「深雪待春独歩行」・・・これを受け取った親や友達は何事だ?との反応でした。