今を去る1300~1400年の昔、天智天皇の母、斉明天皇の御世
朝鮮半島の百済救済のため、斉明天皇は、67歳のご老体の身で九州の朝倉に皇居を遷都され
大本営を置かれたが、長旅の疲れから病に倒れられた
病気回復の霊薬を求めるため、但馬守(たじまもり)が選任され
大陸へ渡った、しかし天皇は直ぐに崩御され、天智天皇が後を引き継がれた
但馬守は、苦労の末不老長寿の霊木として橘の木を持ち帰ったが
崩御を知り嘆き悲しんだ、皇居の跡が橘の広庭として今も残されている
奈良の明日香の地に橘寺として但馬守が祭られている
但馬守の歌がある・・・
香りも高き橘を、積んだお船が、今帰る
君の仰せに、かしこみて、万里の海を、まっしぐら
今帰る、但馬守、但馬守
今この歌を知る人は、ほとんどいないし、
橘が三月の「お雛様」のひな壇に何故飾られたか、知ろうともしない
全てが時の流れに任されたまま・・・・・
朝倉で詠われた天智天皇の和歌が、
百人一首の一番最初の和歌として今も詠われている
秋の田の、刈穂の庵の、とまをあらみ、
我が衣手は露に濡れつつ
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http://www.amagiasakura.net/suisya/a-midokoro.htm
http://www.aajc.net/2002kouhou/esohati/