産声を上げたのは、大東亜戦争直前、11月17日の事だった。
今と違い、産めよ増やせよの御時世で、
こんな時代に生まれたく無かったなど、言えた義理では無かった。
親たちは多分、今より子育てに必死で生活その物が戦いだった筈。
戦地に送り出す胸を締め付けられる気持ちを知る由もない。
戦中戦後の艱難辛苦は筆舌に尽くし難かった筈。
幼少時代は、母ちゃんお腹空いたが口癖だった。
父は栄養失調でも「武士は食わねど高楊枝」と痩せていたようだ。
戦後の激変は、4歳の身にもヒシヒシと感じられた。
米軍が駐留した田舎町にも米軍に媚びる厚化粧の女が溢れ、
風紀は乱れ、日本人は生きる為に殺気立っていた。
しかし隣組制度がしっかりして居た町内は纏まっていたようだ。
戦後いち早く、町内レクレーションが始まった。
他町内に先駆けてバスで海水浴に行き、溺れかけ九死に一生。
子供は餓鬼大将の命令一過、山にも川にも行動を共にした。
戦争ごっこ、チャンバラ、ターザンごっこなど、絆を深めた。
甘木川で戦死者を弔う流れ灌頂が再開し賑わった。
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あれから70有余年、老いの戯言を8000記事以上書き綴ってきた。
~元禄~明治(父母)~大正~昭和~平成~令和と命が繋がり、
平均寿命まで残り数年~~思い残すことは無い。